零か百か。それ以外は、いらない。





 血飛沫が頬を打った。
 今、斬った悪魔の物ではない。
 倒れた反動で刀傷が完全に開いた、疾うに屠った筈の敵の雫。
 
「雷堂」

 血を払って刀を収めると、業斗が顎をしゃくった。
「何だ」
「しゃがめ」
 片膝を付いた雷堂の太腿に業斗は跳び乗り、白い頬に舌を近づけた。
「・・・・・・っ」
「痛いか?」
「いや」
「くすぐったいのか」
「・・・・・・あぁ」
「もっと舐めてやろうか」
「・・・・・・」
「青い奴」
 喉を鳴らす業斗は、頬に散った瘡蓋を舐め取っていく。
「何だ。お前の血はないのか」
「我の血が欲しいのか?」
「呑んで欲しいのか?」
「・・・・・・業斗!」
「冗談だ」
「・・・・・・そうか」
「残念そうだな」
「は!?」
「こら。大人しくしていろ」
「む」
 ざらりとした紅の感触に、雷堂は、微かに震えた。
 
 たまに、業斗は血を舐めたがる。
 当猫・・・・・・いや、当人に言わせれば、「薬」のようなもので、獣の本質がそうさせるらしい。
 時折、業斗が性的な匂いをさせることもあったが、雷堂はただじっとして、その周期が去るのを待っていた。
 微動だにしなければ、業斗は戯れのように雷堂に触れて離れる。
 大きく鳴動したことはないから、その先がどうなるかわからなかったが、二人の関係が変わることはなかった。
 
 血を求めるのは、業斗が業斗として存続する為に、破綻した内証を是正する為の、一つのスパンだ。
 欲に飢えて狂うのが、絶対悪とは言い難い。
 その期間が甘いか苦いかは、人それぞれだが、足踏みや悩む行為をしなければ、次の段階に進めない。
 苦しみは、前へ進む為の修行であり、ないがしろにできない要因と考えるならば。
 その鍵になるのが、我であるならば、

「俺達は、最高のパートナーだ」
 唇を舐める業斗に、雷堂は頷いた。
「やっぱりお前の血が欲しい」
「・・・・・・」
「いいか?」
 白い肌に夢中だった翡翠の瞳が、雷堂の眼の奥に向けられる。
 嗚呼。このような時にだけ、曇りのない思念を・・・・・・。

 躰の底が熱くなるのがわかった。
「・・・・・・一々断るべくもない」
「俺は、お前の口から聴きたいのだよ」
 お前の真実をな。

「我は・・・・・・」
 
「葛葉雷堂としてしか生きられぬ」
 業斗の背に、手を置いた。
「葛葉雷堂で無くなるのならば、其れは我の死だ。生か死か。我にはこの二つしか頭にない」
 愛撫するように漆黒の躰を撫でた。
「我が最高の葛葉雷堂になりえるには、業斗が必要なのだ」
「業斗童子はたくさんいるぞ?」
「我は、業斗以外の業斗はいらぬ」
「へぇ?」
 瞳を覗き込めば、悪戯っぽく翡翠が輝いた。

「もし俺が、お前を喰いたいと云えば、大人しく喰われるのか」
「業斗が業斗であるならば」
「俺が、雷堂を殺したいと云ったらどうするんだ?」
「・・・・・・」
「答えは出ているか」
 クククと黒い笑い声が、雷堂の胸を焦がす。

「面白い奴だな。葛葉雷堂」
「・・・・・・業斗?」
 目付は、雷堂の掌に接吻ける。
「お前が、云うならば」
 息が触れる程に、二者は近づく。
「俺は最高の業斗童子になってやろう」
 だから、な。
「お前は最強最恐の雷堂となれ」
 初代を超えてみせろ、と甘やかに、されど辛く耳元で囁く。

「契約のようだな」
「そうだ。ヤタガラス抜きの契約だぞ」
 結果的には、彼奴が喜ぶから、少し面白くないが。
 拗ねる業斗を、雷堂は秘かに可愛いと思った。


「では、契約の証として、我の血をどうぞ」
 たまの冗談を云うと、業斗はきょとんとした後、爆笑した。






                                   2007.1.12