「ふぅ。今日も頑張ったよ俺」
ぐいー、と伸びをして鳴海は襟元を緩めた。
そろそろ夕餉の匂いがする頃だ。
「ライドウまだかなぁ」
お餅を買ってくると事務所を出て行った書生を思い出す。
今頃、店のおばちゃんに「もっと食べな!」と余分に持たされていることだろう。
ライドウの指よりも、更にもちっとした白い其れ。
少し焦げ目をつけて醤油で食べるのもいい。
お雑煮も、想像するだけで口の中がじゅわっとするが、なんせ里の違いから
調理方法等々が変わる一品だけに、作るときには相手との入念な作戦会議が必要だ。
迂闊に出して、正月早々から血の雨が降る家もある。
穏和な相手が鬼のようになるのを何度か鳴海は見た。
侵してはいけない領域というのは、誰しも持っているものだ。
さて、鳴海さんの事務所ではどうしましょうかね?

ぎぃ。
「あ」
ドアーを軋ませた住人に、軽く手を振った。
「お帰りライドウ~と、ーーー誰?」
「口を慎め、下郎」
玄関で紫紺の光が瞬いたと思った瞬間、鳴海の喉仏に軽い痺れが走った。
殺気。
あと数ミリで掻ききられる距離に、鋭い爪、が。
ーーー悪魔、だよねぇ?
魂をも凍らす圧倒的な威圧感に、勘弁してくれと思う。
唾を呑み込まないよう我慢して、鳴海は降参と手をあげる。
「え~っと、あの? もしもし? 落ち着いてくださ」
「我が主を呼び捨てにするとは・・・」
冷たい瞳に怒りが煌めく。
「万死に値する」
「えぇーっ!?」

何か怒ってるんですけど!?

「え? ちょっ、どういうことライドウ!?」
「アマツミカボシ。彼は、僕の上司です」
「・・・・・・破滅の星を降らせてはならぬと?」
「えぇ。今は」
「今はって!」
「・・・・・・承知」

刀を納めるように、アマツミカボシと呼ばれた悪魔は、右手を袖の中にしまう。
さっさとライドウの傍に行くあたり、鳴海のことを歯牙にもかけていないのだろう。
わかっちゃいるが、なんか悔しい!
「ちょっとライドウ、くん!」
紫色の悪魔に、少しだけ遠慮してライドウを手招きする。
「新しい仔つれてくるのはいいけど、しつけはきちんとしといてよね!」
ぐいっと引き寄せ、耳打ちする。
「鳴海さん」
「なんだよ」
じっと見つめられて、思わずのけぞった。
美男は三日で飽きるというのは嘘だ。
少なくとも此処に例外がいる。
「・・・・・・ま、俺のことくらいは説明しといてくれよ」
こくんと頷く書生に、今日も許してしまう。
嗚呼、俺も甘くなったことで。
がしがしと頭を掻いた。

「ま、とにかくご飯作って頂戴」

「・・・・・・え?」

近くからあがった妙な声に、いやな予感がした。
ぎぎぎと首をそちらに向けてみれば。
「十四代目に、料理を・・・・・・させる?」
ひぃぃいいい! 何なの此の仔!?

殺気をむんむん撒き散らす仲魔に、「何とかして!」とライドウに合図を送る。
「アマツミカボシ」
「・・・・・・はい」
「此処では僕の身分は書生だ。だから、」
「わかりました」
「そう」
「十四代目にそのようなことはさせられません」
「え?」


「私が、貴公の為に作りましょうぞ!」



『えぇえええぇえええええ!!!?』

絶叫型蓄音機になった鳴海と黒猫は、またもや殺気を向けられたが、

「えっ、ちょっ、おまえ、正気なのか!?」
「騒がしいぞゴウトドウジ」
「いやでもあの、ぜんっっぜん料理するイメェジとかないんだが!」
「むしろシモジモの者に、作らせてるっぽい!」
「そうだ! お前、料理したことあるのか!?」
「愚問だな・・・・・・」
高貴な仕草で悪魔は垂れた髪を払う。

「勿論、無い!」

『駄目だ此奴ぅううう!』

「ライドウ、逃げるぞ!」
「俺も賛成! さっ、早く!!!」

『何故?』

主従コンビが首を傾げる。

「な、何でって! 世にも、おっそろしい物ができあがるかもしれねぇし!」

「何だそんなことですか」

「そんなことぉおお!?」

にこりと微笑む書生。
「あなた方が毒味すれば宜しいじゃないですか」

『無理ぃいい!』

「私の料理が食べられないと!??」
「ひぃいいい! 殺気やめて! 俺、普通の人間ですからぁああ!」
「こうなったら鳴海を人身御供に我だけでも逃げ」

『そうはさせるか!』

手、足、尻尾。

三つの手がゴウトを捕獲した。

「はなせぇええええ! はなしてくれぇええ! お前等にまだヒトを愛する心が残っているならばぁああ!」

「逃がすかぁ! お前が犠牲になれぇええ!」
「逃がしませんよゴウト」

「ゴウトドウジよ」

ひたりと翠と紫の光が重なり合う。
かつての敵同士。
少しだけ紫の光が柔らかくなった。

「今日だけ、我等は休戦を結ぼうではないですか」
「はぁ!?」
「私を照らす光となりなさい」
「それって・・・・・・」

「感謝しなさい。私の料理を初めに食す栄誉を与えてあげましょう」

「死ぬぅうううう!」

がっちり椅子に固定されたゴウトに心の中で拍手を送りながら、
鳴海はそっとドアーに向かった。
あと一メートル。
あと一歩。
よっしゃぁああ! ドアノブ、げっとぉおおお!
後は頼んだゴウト!
感動の涙を流しながら、勢いよく開けば。

「上司とやらも、食して行くがよい」

開いた先に、アマツミカボシの姿が!
「ぎゃぁあああああああ!」
「アイシテマスヨ鳴海サン」
「今、聞きたくなかったよライドウー!!!!」

逃・亡・失・敗。

「さぁ上司殿」
「さぁ鳴海さん」
「な~る~み~」
三者三様の事情を宿して、鳴海を迎え入れる。

ーーー斯くして、大・大・大晩餐会が一月一日に開かれた。

其の日の記録は、残念ながら残っていない。
ただ、妙な爆発音やら新年早々、身を凍らすような悲鳴が帝都中に響き渡ったとか。
後に、事務所の面々は語ったという。

「料理は、奥が深い」



                                 2008.1.1