真夜中。ライドウは、すっと眼を開いた。
 月すら雲に顔を隠し、物音一つしない探偵社の何が気にかかったのか。
 隣の穏やかな寝息に微笑を送り、窓の暗闇を見つめる。
 
 着崩れた夜着を直し、部屋を出た。





 あてなど全くない。
 誰に呼ばれたわけでも、何に命じられたわけでもない。
 けれど、惹かれる時がある。
 声以外の何かに。
 誤解を恐れずに云うならば、魂が引き寄せられるというのか。
 理性では説明しきれない、その感覚。
 そして、その勘は外れることはない。
 今も・・・・・・ほら、やはり。

 引力を見つけて、ライドウは隣に立つ。
 まるでその場所が、本来自分がいるべき場所であるかのように。
 相手も、特に視線を向けるわけでもなく、声をかけるでもなく、佇んでいる。
 二人になって、漸く一人分の呼吸をしているような。

 それでも寂しさは溢れだしたのか、ライドウは自分の呼吸を取り戻した。
「こんな所で、どうしたのですか」
「我が云おうと思っていたのだが・・・・・・貴様こそ、こんな時間にどうした」
「貴方に呼ばれましたから」
「・・・・・・そうか」
 雷堂は、笑うでもなくそれを肯定した。
 他人ならば冗談で済ますことも、この二人にとっては、笑い事ではなかった。
「眠れないのですか」
「ミルクホールで引き留められてな」
 それには応えず、雷堂はライドウの掌に何かを握らせる。

「新商品だそうだ」
「ソーダ味?」
「弾けますよ、とか何とか云っていたな」
 店主の言葉を繰り返しただけなのに、雷堂の口から聞くと、何か違和感がある。
 ライドウは、薄く微笑した。
「貴方は食べないのですか」
「歯を磨いたからな」
「可愛いことを云うのですね」
 笑い出したライドウに、雷堂はご機嫌斜めだ。
 咳払いしたライドウは、セロファンから飴を転がし、上品に口に含む。
「どうだ」
「そうですね。味は・・・・・・」

 口移し。
 
「・・・・・・押し売りは、願い下げだ」
「満足は得られたでしょうに」

 雷堂が、口の中で転がしながら感想を引き継ぐ。
「ソーダ、だな」
「身も蓋もないですね」
「炭酸もよく効いている」
「え、そうなんですか」
「・・・・・・中心に仕込んであったようだな」
 かりっと噛み砕いて、雷堂は半分渡した。
 今度は、唇には触れず、伸ばされた舌同士で。
 いつもより粘つく糸が、月光を弾く。
「らしくないですね」
 呑み込んで、ライドウは、近づく。

「今日の貴方は、朧気です」
 引きつった痕の残る頬に、手を添える。

「この疵・・・・・・」
 そっと唇を寄せる。
「これが、貴方を夜に誘い出したのですか」
 雷堂は、肯定も否定もしない。
「教えて頂けませんか」
「もうすぐ、ここを去る者にか」
 ライドウも、肯定も否定もしない。

 風が、吹き抜ける。

 ・・・・・・もしも。
 聞き逃しそうな声音が、耳に届く。
 もしも、また逢えたならば・・・・・・。
 
 次の言葉を待ったが、ライドウに届いたのは。

 やわらかな感触。
 次いで、微かに味付けられた硬い、丸い何か。
 舐めても舐められても、不思議に、とけない飴に、紅い蔦が絡まり合う。
 呑み込み、消化しないように。
 舐め、除け、上手く転がして。
 
 頬をつたう雫。
 流れきる前に、ライドウは目前の頬に擦りつけた。



 一つになれる筈の、二つの想い。
 


 とけない飴を、掌に出してみれば。





 磨かれ謎めく光を宿した、それは、ビー玉だった。







                           2006.9.14