本日、快晴。
空気は、やや湿っている。
恐らく夜には、雨になるだろう。
低空から気流を乗り換えて、一羽の烏が急速に上昇した。
ビルヂングの壁面を滑るように。
そして、その途中で器用に反転し、窓の中へ飛び込んだ。
「戻ったぞ」
業斗は、一度羽ばたき、ふわりと着地した。
―――悲鳴。
「嗚呼。いたのか鳴海」
「いってぇー! 早く俺の頭から退きやがれ莫迦烏」
「てっきり俺専用の巣を作ったのかと思ってな」
「羽をもぎとってやろうか!?」
「ふん」
業斗は、着地点の鳴海の髪の毛が絡まったのか、何度も頭の上でステップを繰り返す。
「痛! 痛! 早くしろよ!」
「このもじゃ毛が、云うことを聞かぬのだ。持ち主に似たのか? 中々、捕らえた者を離そうとせんのだよ」
「俺が直々に、解いてやらぁ!」
涙目になった鳴海の右手が、業斗を襲った。
上手く掴めず、間髪いれずに左手を繰り出す。
だが、烏もさるもので、魔手をひょいひょいと器用に躱し、気まぐれに尾羽で手の甲を叩く有様。
「お前、わざとやってるだろ!」
「蹌踉けただけだ。そうカリカリするな。女にでも振られたか?」
「・・・・・・決めた。今日の夕飯は、焼き鳥だ!」
そう叫ぶと、鳴海は頭頂部を、即ち業斗を包み込むように両手で攻めた。
「ふん。貴様は、夕飯抜きだ」
ひらりと華麗に飛び立った烏が、唐突に割り込んだ声の主の肩に舞い降りる。
「雷堂。帰ったか」
「はい。ただ今、戻りました。・・・・・・して、彼の男は・・・・・・? 業斗は、何かされたのか?」
「ん? 嗚呼、あの、猿のような姿勢で固まっている男か? ・・・・・・不届きなことにな。俺を、あのように珍妙な格好で、誘惑してきたのだよ。しかも、失敗したと見えると、俺を夕飯の材料にするなどと云って・・・・・・」
「貴様ぁ! 其処へ直れ!」
雷堂は、玄関から瞬時に間合いを詰め、鳴海の喉元に刀の切っ先を突きつけた。
「阿呆か! その烏のことを鵜呑みにするんじゃねぇ! 」
「何!? 業斗を侮辱する気か!」
「たまには、自分の脳味噌で考えやがれ! 俺が業斗を誘惑して、どうするんだよ!」
「我が聞きたいぞ! はっ!? そうか。食材にする為の口実か!」
「何でそうなるんだ阿呆書生ー!?」
「我が阿呆だと!? もう貴様は、信用ならん! 土下座して首を差し出せ!」
「するかー!」
ぎゃあぎゃあと叫び声と乱闘の気配が交錯する部屋から、そっと抜けだし、業斗は独りごちる。
「鳴海め。そう簡単に、雷堂に触れられると思うなよ」
女に振られた腹いせに、書生を抱くことだけはさせてなるものか。
今日の体力は、根こそぎ使い果たして貰おう。
可愛い後継者は、まだまだ俺の手元に置いておきたいしな。
だが、ただの猫かわいがりでは、雷堂は育たぬだろうし・・・・・・。
「さて。次は、どうやってからかうかな」
その口元に、嵐を予感させる笑みが浮かぶ。
しかし今は嘴なので、その邪な笑みに気づく者は終ぞおらず、やがて雨が降り出した。
2007.1.18
|