一瞬で口に苦味が広がる。
鳴海は急いで体を折り曲げた。
畜生。
何度目だ。
口をゆすいで、忌々しい吐瀉物を流す。
歩ける体力はある。
次に吐くまでの時間も、次第に長くなってきたから、医者に行くまでもないだろう。
だが、嘔吐感はある。
此が、此の状況が、あの少年だったら、笑いながらからかってやるところ。
「悪阻? 俺の子?」
自分の身に置き換えると、ぞっとしない。
さっさと寝たい。
だが、下手に横になると気持ち悪い。
ソファの背に両手を回して、居心地のよい場所を探す。
またも込み上げる衝動。
舌打ちして、唇を舐めた。ふと気づく。
舌が冷たい。
ーーー俺、死ぬのか?
ずるずると背もたれに身を預けて、宙を見上げる。
ぼんやりした天井には、お決まりの死への恐怖は浮かばない。
自分の輪郭線も曖昧。融けて世界というぬるま湯にたゆたっている気持ちだ。
唯一、未練があるというならば。
冷たくなった舌を温めたいということ。
熱い舌と絡まり、吸い上げたい。
はやく、はやく。
今此処で。
なのに。
ーーーまだ、奴は帰らない。
よろよろと立ち上げると、鳴海は扉を開けた。
肩を揺り動かされて、眠っていたことに気づいた。
「・・・・・・起こすなよ」
「此処は我の寝室だ。出ていけ」
どうやら間違って、書生の部屋に来ていたらしい。
よくなだれこむ場所だから、特に違和感も感じなかったのだが。
それを云うのも、面倒くさい。
「五月蠅ぇよ。先に寝た者勝ちなんだよ。腕枕をしてあげます、くらい云えよ莫迦少年」
「今すぐ我の腕で地獄に沈めるぞ、阿呆探偵未満」
「何だと・・・・・・っ!」
急に起きたせいで、吐き気が蘇る。
雷堂を押しのけ、吐きに行こうとしたのだが。
腕を当の少年に捕まえられた。
「貴様、何のつもりだ」
「五月蠅ぇ! どけ!」
「どかぬ」
「吐きそうなんだよ!」
「吐け」
「だから・・・・・・!」
「此処で吐け」
「・・・・・・あ?」
呆けた瞬間、少年の拳がもろに胃にめり込む。
ぶあっと汗が噴き出した。
どうにか呑み込んだが、涙が出た。
「何、すっんだ、てめぇ・・・・・・」
「もっと泣けばいい」
「はぁ?」
「こういう風に、な」
抜いていたベルトが徒になった。
右手がさしこまれ、直接触れられた。
「・・・・・・っ」
「いつもと逆だな」
気持ちよさとともに、吐き気もせり上がっている。
「止めろ・・・・・・まじ、やばっ」
「出せ」
体を縮こめたのに、びくっと体が跳ねた。
濡れた手が、口に突っ込まれる。
本当に吐きそうになって、指を噛んだ。
「・・・・・・我の大学芋を食べたのは、お前だな」
あ。ばれてた。
黙っていると、更に指が深く突いてきた。
「ん~ん~」
「そうだ。たまには素直に云うのがよい」
仕置きだ、と舌を掴まれる。
「ぃ~て~え~」
にぎにぎされて、またぞわぞわとしてきた。
鳴海は、ぎょろっと雷堂を見た。
白い手が抜かれる。
とろっと糸が引いて、変な気持ちになる。
「てめぇの芋のせいで、俺、吐き気が止まんねぇんだけど」
「仕置きが足りなかったようだな。何故、先に反省や謝罪ができぬ?」
「必要じゃねぇからな」
「・・・・・・」
今度は、拳を手で受け止めた。
「攻めが単調なんだよ。若造」
「知ったかぶりの阿呆が。忠告しておくぞ。今後、我の物を食べたら、同じように吐くか、死ぬぞ」
「は、何で?」
「・・・・・・毒が塗ってあるからな」
「・・・・・・は?」
「致死量ではないがな。慣れておかなければ、毒の攻撃に耐えられぬ」
淡々という少年に、呆けた。
諜報部員だった自分にも経験はあるが。
そんな俺でも知らない未知の毒。或いは人外の毒。
其れを日々、摂取しているという少年。
知っているつもりの相手が見せた、未知の陰。
日常の中の非日常。
畜生。
何だかむかつく。
「赦せん・・・・・・」
「こちらの台詞だが。注意しなかったのは悪かったが、盗み食いなど・・・・・・」
「んなことはどうでもいい! 俺の優雅なティーもとい酒タイムを駄目にしやがって!」
吐き気なんてどうでもいい。
思いっきり、涼しげな顔に拳を叩きつけた。
押し倒す。
強靱な躰だろうが何だろうが、先に押さえ込んでしまえば、此方の勝ちだ。
「俺の気が済むまで、犯すから」
見開かれた目に舌を近づける。
閉じられた瞼を引っ張るように噛んだ。
「気持ち悪くなったら、てめぇとてめぇの布団の上に吐いてやるからな! 覚悟しろよ!」
釦をちぎって、乳首に噛みつく。
呻く紅い唇に「散々好き勝手した罰だ」と、食らいつく。
冷たい舌で、後退する熱い舌をねじ伏せ、蹂躙する。
下肢にたまった熱をこすりつけるだけで、放り捨て。
泣いて赦しを請う間も与えず、上の熱を奪う。
いくなら勝手にいけ。
毒に慣れたいなら好きにしろ。
ただし。
俺の平穏を奪った。
俺の熱を奪った。
俺の性欲のベクトルを奪った。
その代償は、払ってもらう。
服を着たまま射精した少年のズボンの上に、自分の濁りを浴びせた。
お前という毒を舐め尽くす、其の日まで。
躰から吐かれる物は、止まることはない。
2008.5.09
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