人のいない通り。
静かで真っ白な暁光。
町中でありながら、山奥の境内や葛葉の里を思い出させる澄んだ空気。
雷堂は、この時間が好きだった。
この清々しさを独り占めしているような子供っぽい感情すら、密やかな楽しみであった。
早起きが得意なのも、そのせいかもしれない。


ーーーそろそろ起きるか。
意識が浮上してくる。

「おはようございます」

違和感。
今の声は我ではない。
そういえば、背中にも………。

「もう起きられました?」

女性の、声?
まだ、思考の回転が遅い。
雷堂は、顔を声の方に向けて、たっぷり五秒は観察し、目をむいた。

「か、伽耶殿??!」
「ごきげんよう」
スカートの両端を広げて、伽耶は踊り子のように挨拶した。

雷堂は急いで跳ね起きようとしたが、相手が女性であること、未婚の女性であること、異常で変則的な位置関係などを考え、結局、びくびくっと躰を反応させただけで、枕に顔を沈め直した。

全く以て、理解できなかった。
自分の状態は、わかる。
しかし今までの人間関係、過去のやりとり、想像の範囲、全てを動員しても、自分以外の要因に対して正確な判断をすることができなかった。

「雷堂さん、聞いていますか?」
雷堂の「上」から、上品な声。声だけは、いつも通りだが。
「あの、伽耶殿、その………」
雷堂は、逡巡した。
どう質問したらいいのか。
早朝からどうされました?
どうやって事務所に入られましたか?
何の用ですか?
何故、我の寝所に入っているのですか?
いや、それよりも………。

「まだ寝ぼけていらっしゃるのかしら」
「伽耶殿、質問があるのだが」
「何か?」
伽耶が首を傾げる。
正確には、傾げたのだろう。雷堂からは、伽耶が見えないからだ。
ただ、雷堂の背に伝わってきた「振動」と微妙な「重心移動」から、それが推測できる。
雷堂は、極力、今の自分の状態を考えないように、感じないようにしながら、口を開いた。

「何故、貴方は、我の上に、乗っている?」
云った瞬間、頬が熱くなった。
それを隠そうとして、ベッドにうつ伏せになっている躰を身じろぎすると、雷堂の背に乗っている伽耶の温もりを余計に感じてしまった。
耳まで熱い。


「そろそろ、我の上から、下りてくれないだろうか」
「重いですか?」
「いいや」
「よかった」
「そういう問題ではなく………」
「雷堂さんが、きちんと、答えてくださったら、よいのです」
伽耶の声にこもる妙な迫力に、雷堂は背筋が凍る。
一体、伽耶殿は、どうしてこんな無茶をするのか………。
朝から、我のベッドで、起き抜けに質問と強要の嵐。
八百万の神よ。これは何の試練か。
雷堂は、ほとんど泣きそうになった。

衣擦れの音が聞こえる。
左肩に、柔らかい指が触れる。思わず、震える躰。
ふわりといい匂いがする。耳に、吐息がかかって。
「雷堂さんの好きなものは何ですか?」

「は?」

「もう一度いいましょうか?」
「いや、その………」
一体、何が始まったのか。
「どうぞ」
恐る恐る口にしてみる。
「………大学芋?」
「………。では次です。真っ直ぐな髪と、カールした髪、どちらがお好き?」
「どちらでもい」
「解答は正確に」
「………どちらかと云えば、真っ直ぐが」
「よろしい」
正解があるのか、この質問?!!
ますますわからない。少なくとも早朝からする質問ではないと思うが。
「次です。好きな色は? ちなみに白か黒でお答え下さい」
まさかの二択。
「く、黒?」
「何ですって?」
「………次の質問、お願い致す」
沈黙の後、舌打ちが聞こえたような気がしたが、気のせいだろう。
「では、」と、伽耶が咳払いする。
躊躇うような気配と、何かを必至に押し殺そうとするような声調に、雷堂は身構えた。

「………私と黒猫が、崖から落ちそうになっています。どちらを助けますか。ちなみに、一方しか助けられません。両方とか、考えられないという答えは、いけません。絶対です」
「黒猫?」
「身近な猫でも構いません」
「業斗と伽耶殿を比べるのか? 飛躍しすぎではないか?」
「どちらかをお答え下さい。絶対に絶対にです」
思い詰めた伽耶の声に、冷静な思考が戻って来る。
雷堂は顔の向きを変え、少し考え、何かに気づいて、微笑した。

そして、穏やかに、あっさり答えを出した。





******************



裏路地を伽耶は歩いていた。
辞去の言葉もそこそこに、探偵事務所を出てきてしまった。
まだ気持ちの整理がついていない。
彼の本音を聞くためとはいえ、あんな非常識で無作法なことまでしたというのに。
心の準備は、一体何だったのか………。
降り注ぐ陽光に目を細める。眩暈がしそうだ。
思わず出た溜息の後、甘い鳴き声が聞こえた。
視線を上げると、塀の向こうから伸びている大ぶりの枝に、いた。
「何か用ですか?」
じぃっと見てくる相手の傍まで近づき、伽耶は返事を待った。
「やはり、俺の言葉がわかるんだな」
翠の目が、きらりと光った。
笑っているのだろうか。
「大道寺家は、不思議な力を宿す者が生まれます。業斗さんの言葉、私にはわかります」
「ふーん、それで?」
「前回探偵事務所に伺ったとき、何故、私を挑発してきたのですか?」
「そんなことあったか?」
白々しい。
この猫の皮を被った悪党は、先日伽耶が探偵事務所を訪ねたときに、堂々と雷堂の膝に乗り、伽耶が近づくと、尻尾で手を叩いてきた。
挙げ句の果て、雷堂の耳元で、
「この女は怪しいから、絶対に近づくな。どうしてかって? お前、俺とこの女のどっちが大切なんだ。え、どっちも大切? 馬鹿。俺が好きなら、近づくな。わかったな。特に、二人きりで会うなよ。どうしても会う必要があるときは、俺の立ち会ってるところか鳴海にでもやらせろ。わかったな。じゃあ俺にキスしてみせろ。戸惑うな、馬鹿。
それで………」
と延々長話(痴話げんかなんて絶対云わない)を聞かされたのだった。
業斗の言葉が理解できると、その場で説明しなかった此方にも非はあるかもしれないが、伽耶のことを推測しながらも堂々と悪口を云ってくる、この黒猫も、相当なものである。
そういえば、以前も。あのときや、こんなときも………。
「お言葉ですけど………」
次々と湧き出てくる温泉のように、不満と怒りは溢れ煮えたぎった。
築き上げてきた礼儀という氷の門を慌てて閉じようとしたが、半開きで止まる。
「さっき雷堂さんに、私、質問したんです。『業斗さんと私、崖から落ちそうになっていたら、どちらを助けますか』って」
「ほぅ?」
伽耶は、ゆっくり話すことで、熱を下げ始めた。
「そうしたら、『伽耶殿を助ける』って答えてましたよ」
「………何?」
「即答でした」
「ありえん」
「事実です」
「………急用を思い出した。じゃあな」
「馬に蹴られないように、お気をつけ下さい」
舌打ち一つして、黒い影は去っていった。
伽耶は、猫でも舌打ちができるのだな、と妙なところで関心しながら、複雑な笑みを浮かべた。
あの黒猫に一矢報いたのは嬉しかったが、不完全な温度変化を起こした思考が、滅茶苦茶な連鎖反応を起こす。雷堂の唇、微笑、答え。
ぐにゃりと世界が歪み、赤暗い海に放り投げられる。


人を慕う私。
相手を憎む私。
私が好きな私。
私が嫌いな私。
彼はどんな私を好いてくれるのだろう。
願わくは、いや恐らく彼ならば、いつかは、受け止めてくれるのではないか。
彼の優しさ、彼の甘さ、弱さ、強さ、包容力、貫く未来。
そんな甘くて苦い幻想があるから、私はまだ、前に進めるのだ。
宿命。家柄。性別。それが何?
彼は私の暁光。誰にも、それが運命でも、この感情は、切り裂けない。
………負けるものですか。


伽耶は陽光を睨み、笑った。
深呼吸して、ぐん、と背伸びする。



「とりあえず、髪は、真っ直ぐ、ね」
もう、足取りは軽かった。




******************


雷堂は、これまで伽耶が見たこともないほど、美しく穏やかで幸せそうな表情を浮かべた。

「崖から落ちかけているなら、伽耶殿を助ける。
業斗は強い。我の力なくしても、必ずどこかで生きている。
それに、業斗とは、約束をしているのだ。
どんなことがあっても、我の元へ帰ってきてくれると。
たとえ姿形が変わろうとも、我がそれを願うならば、必ず、と」






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以前、アンケートをしたときのリクエスト。
伽耶x雷堂でした。
伽耶さんってば、だいたーん!
普段、静かな方の爆発力や行動力は、すごいですね(笑)
本当なら、もっとSMチック(伽耶さんが、蹴りを入れて高笑いしてましたv)にしようかなーと思っていたのですが、それはパラレル&ギャグとして書いてもいいな♩

  「あら、雷堂さんったら、ご冗談を」
  長い髪をかきあげ、高笑い。

性格変わっとるやん!

惜しむらくは、相手が雷堂さんなため、あまりエロティシズムに走れなかったところですね。
女性には、ちょっと奥手くらいが雷堂ちゃんは好きやな。
がんばれ伽耶嬢!!!


というわけで、こっそりこそこそ江支さんに捧げます(土下座&お元気ですかー?)




                                 2012.7.23