「うっ・・・・・・」
じわりと汗が滲む。
初期微動の後、口内からこめかみに走る激震。
・・・・・・まずっ!
この料理、まずっ!
「すまぬ」
しょんぼりした雷堂の表情に、鳴海は引きつった笑みを浮かべた。
「いや。大丈夫よ?」
「・・・・・・すまぬ」
ひらひらと手を振って、もう一口食べる。
「へーきへーき。俺、苦党だし」
じぃっと俺を見て、また謝る雷堂。
ポーカーフェイスは得意なはずなんだけど。
この子の前じゃ、よく失敗する。
「黒こげだろう?」
「黒、好きだぜ」
「消し炭、なのだが」
「・・・大人の味、さ」
「それに」
「はいそこまで~」
お箸で、ふにっと白い鼻を摘む。
相手が面食らってる間に、鳴海はまくし立てた。
「洋式の台所使うの初めてだったんだろ? 失敗して当たり前。成功してたら儲けもんてやつだ。だから気にすることねぇよ。ま、次に美味しいもの食べる愉しみができるって思えば、さっきも云ったけど、苦党の俺としては全然問題なし! わかったらお兄さんに、飲み物を注ぎなさい」
にこっと笑って、それを指し示す。

ごくごくと飲み干し酔ってしまえば、不味い料理も気にならないし。
グラスを差し出せば、慌てて差し出されるボトル。
うーむ。
これで微笑みの一つでも浮かべられれば、書生君も素敵執事になるのにねぇ。
吐き出した息は、酔いが絡まり、紅い舌が、ぬらりと光った。
黒い欠片を舐め、ゆっくりと口の奥に潜らせていく。
たったそれだけの動作。
だが、この書生君は食い入るように見ていた。
「無理して食べなくていい。吐いた方が・・・」
初めて見るしおらしい表情に、自分の中の黒い部分が起き上がる。
書生君が来てからまだ日がたってないから、
あんまり素の自分を出してなかったんだけど。
ーーーそろそろ限界か?

「そんなに気になるならさぁ・・・」

下を向いて、密かに笑う。
「舐めろよ」
「ぇ・・・っ」
「俺、の、舌」
鳴海の舌が黒い煙を吐いていく。
見えない其れは、じわじわと雷堂の意志を削いでいき、垂直に立っただけのでくの坊にした。





************************************************************************************




所長が、べっと紅鳶色を突き出す。
細かな収縮や、意外と並びのいい歯がちらちらと煽ってくる。
「まだ?」
「や・・・あの」
「あのじゃなくて」
「おかしくないか?」
「何が?」
「その・・・」
言葉にするのは躊躇われて、まごついた。

失敗した料理を食べさせてしまった時の対処法など葛葉では習わなかった。
ましてや相手の舌を・・・その、我の舌で・・・・・・・・・・・・清めるなど聞いたことがない。
それともこれが帝都のーーー都会の流儀なのだろうか?
里しか知らぬ我には、よくわからないが。

「あー、あれだよあれ。蜂に刺されたら吸い出すだろ?
あれと同じことだよ。さすがにあれだけ焦げたもの食べたら体に悪いだろうから、吸い出してくれよ」
仕方ない。
これも郷に入っては郷に従えというやつだろう。
「・・・・・・承知」
舌先を少し出す。
一回目は、届かず、二回、三回と出して漸く鳴海の舌に辿り着いた。
「・・・っ」
触れた瞬間、躰がかっと熱くなって、すぐに離れてしまう。
「何してんの、早く」
平然としている鳴海を見ると、余計に頬が火照る・・・・・・。
何を反応しているのだ我は?
これは治療だ。
落ち着け我!
心頭滅却!
ふーっと深呼吸して、もう一度してみる。
「まだ黒いの残ってるみたいなんだけど?」
「すまぬ・・・」
「謝る前に、ほら」
「ぁあ、あっ・・・」
激しく絡められ、躰が痺れ、ずるずると床に跪いた。

「仕方ないな。俺がお前をリードするから頼むぜ?」
「・・・あ、っ・・・」
顎を掬われ、また舌が触れ合った。
送り込まれる、とろりとした何か。
「呑め」
微かに苦かった。
何度も命令されて、何度も嚥下して。
漸くそれが鳴海の唾液だとわかった。
我にも責任をとれということか?

背中やふわふわしてきた腰辺りを触られる。
唇は触れないのに。
これは「治療」と「責任」から来る行為なのに。
心臓が高鳴る。


「ここでいいか?」
「え?」
「最後まで」
ぼーっとした頭で、頷く。
治療は最後まですべきであろう。

「ぎゃっ!」

「所長!?」
いきなり鳴海が顔を歪め、雷堂から飛び退いた。
「痛ぇええええ!」
ぴょんぴょん跳ねる男の足下から、黒い塊がするりと現れた。
「すまんな。ちょっと手元が狂った」

『業斗っ!』

しゃがむと、黒い毛を擦り寄せてきた。
「何ともなかったか?」
「何がだ?」
「いや。何でもない」
「そうか。それにしても業斗が失敗するなど、珍しいな。鼠でも追いかけていたのか?」
「嗚呼、大きいもじゃもじゃの奴をな」
「業~斗~!」
「すまん鳴海。少しは目が覚めたか!?」
「・・・糞っ!」
何やら始まる睨み合い。
これは、もしかして。
「お二方は仲が悪いのか?」

『まぁな』

「そ、そうか・・・。だが我等はまだ会って間もないのだから、いがみ合うのは感心せぬが・・・・・・む。何故、睨む」
じぃっと見つめられて、訳がわからない。
まるで「お前のせいだよ!」と云われているような気がした。

「・・・・・・何か焦げ臭くないか」
「そういえば」
「薪の始末がまだだったからな」


『薪?』


雷堂は鷹揚に頷いた。

「火をおこすのに木は必須だろう? 洋式の竈は火加減が難しくてな。火の上にくべたらすぐに消えるし、燃えるようになったら火力が強すぎて困ったぞ」


割烹着の裾をひるがえし、何故か目が点になっている二方に背を向けた。

「片付けてくる」


返事を聞く前に、扉を閉めた。





************************************************************************************



「なぁ」
「あ?」
「お前等の里では、どんな教育してるんだ?」
「云うな」
「西洋文化も取り入れるように云ってくれよ」
「だが可愛いだろ?」
「親馬鹿」
「やらんぞ」
「何のこと?」
ちっ、と業斗は舌打ちした。

「食えない奴め」



                                 2009.9.15