月下迷夢







 扉が開くと、ゴウトはひらりと飛び降りた。

 今日は珍しくライドウはいない。
 ゴウトは単独で名もなき神社に行き、指令を受けてきたのだ。
 定期的なこととはいえ、長引かされると正直辟易した。
 帰りはちゃっかり電車に身を忍び込ませ、今に至る。
 再び走り出した電車の音を背にゴウトは歩き出した。

 人の波に足をとられないようにゆっくり進むと、見慣れた景色が色を変えて飛び込んでくる。
 銀座ほどでないが筑土町もそれなりに夜の艶を出し、目を惹かれるものだ。
 いまさらだがライドウには見せないほうがいいかもしれない。ついそんなことを思ってしまう。
 少し過保護かな、と笑うのも今日だけは自分だけの秘密だ。
 ふいに名前を呼ばれ、ゴウトは立ち止まった。


「業斗童子か」


「・・・・・・ミシャグジ」
「ミシャグジさ・ま・ぢゃ! 間違えるでない! 近頃の若いモンときたら・・・・・・」
 ぶつぶつと漏らす悪魔の横で、ゴウトは苦笑した。
 幾百年を過ごしてきた自分を「若者」呼ばわりするとは・・・・・・。
 確かに、古代より国の栄枯盛衰を看取ってきた相手から見れば自分などまだま「子供」なのだろう。
 ライドウですら細胞分裂前と言われたのだから、その論理、わからないでもないがやはり苦笑してしまう。

 それとも、未だに俺は未熟なのだろうか。
 あの罪の日から、俺は・・・・・・。

 微かに首を垂れたゴウトは、ふと気づいた。
「おい。なぜ管から出ている?」
「ああ・・・・・・? 近頃は耳が遠くてのぉ」
「すけべ爺」
「爺が助平でなにが悪い」
「やはりわざとか」
「耳がかゆいのぉ」
 しかもとぼけるだけでは飽きたらず、耳ではなく背中を掻いてみせるあたり一筋縄ではいかないようだ。

「そうぢゃ。今度、おまえさんの方からも、さまなぁに云ってくれんかのう。腰ぃと前ぇの方も吸うてくれとの!」
「痴れ言を。また刀の錆にされたいのか」
「だがのう、さまなぁの口がちょうど儂の前ぇの高さにあるんじゃ!」
 あまりの物言いに尻尾で足を打ってやったが、やはりどこ吹く風のミシャグジさまである。

「・・・・・・わかった。帰ったらライドウより背の高い悪魔の管を壊すように云っておく」
「ふぉっふぉっふぉっ。固いのう童子は」
「・・・・・・お目付役だからな」
「それもそうじゃな!」
 かかかと笑う翁に、ゴウトは溜息を吐いた。
「早く管へ戻れ。今宵は・・・・・・月が丸い」
 仰ぐ空には、唯一の白。
 時折、あの月こそが闇を吐き出している穴ではないかと考えてしまう。
 それほどまでに、禍々しくも圧倒的な美と光。
 こんな夜には胸がざわめく。
 俺もまだまだ青いな、とゴウトは歩きだした。

「のぉ、業斗よ」
 その背に、やんわりとしわがれた声が覆い被さった。
 立ち止まるつもりのなかった黒猫は、何かに操られるように後ろを振り返った。
 ふと生ぬるい夜風が吹き抜ける。


「―――あやつを喰ろうてみたいのう」


 全てが静まりかえったような気がした。
 解放された狂気に怯えて。
 ゴウトはすぅっと目を細めた。
「使役されし存在ということを忘れたか、ミシャグジ」
「様をつけいというたろうに。まぁそれはともかく、おぬしは思わんか」
「なにをだ」
 問いかけるゴウトに、にたりと悪魔は笑った。

「さまなぁは美味い匂いがするのぉ」

「・・・・・・っ!」
 とっさにゴウトは地を蹴った。ミシャグジから離れるように。
「・・・・・・なんのつもりだ」
「そう警戒するでない、ゴウト『童子』よ」
「安い挑発だな。俺は十四代目ほど若くはない」
「ふぉっふぉっふぉ。これを挑発ととるのは若い証拠ぢゃろう?」

 杖で地を一突き。その動作だけで空間が裂かれ、閃光が走った。
「・・・・・・っく!」
 衝撃に土はえぐれ、土煙が朦々と立ちこめる。
 反射的に跳躍したので直撃はまぬがれたが、闇を見通す猫の眼ですら悪魔の存在を確認できない。
 五感を研ぎ澄まし、ゴウトは待つ。
 迂闊に動けば不利になる。それよりも、いち早く相手の殺気を察知し対処した方がよい。
 視界の利かない中、年老いた、しかし朗々たる声が響き渡った。

「儂が葛葉に使役されし存在、か。それは偽らざること。ぢゃがな、遙か昔、儂は人々に崇め奉られておった」

 ゴウトは眉をひそめた。内容の唐突さも原因だが。
 ―――まだ相手の場所がわからない。
 焦りはそこから生まれていた。
 ほんのすぐ傍にいるような気もして。けれど、遙か遠くから木霊しているようにも聞こえて。
 心臓の音が、うるさい。
 続くミシャグジの声も、耳鳴りのように煩わしい。

「本来なら儂の声を聞くためには、ささげものが必要なのぢゃ。人身御供というやつぢゃ」
 ゴウトは腰を落とし、爪を出した。
「国も時代もうつろうて、血肉で儂を祭るものはいない。けどなぁ、彼の者は」

「・・・・・・なんだ」
 無意識にゴウトは応じてしまい、自身のしゃがれた声にも軽く舌打ちした。
 仮初めの身体とはいえ、初代葛葉とあろうものが臆するなどと。あってはならないことだ。
 しかし、現に全身の毛という毛は逆立ち

「ちと儂らを使いすぎる。そうは思わんか」

 ―――喉が干上がる。

「崇め忌むべき存在を、な」

 晴れてきた視界に、声の主を見つけた。
 だが、そのことに安心するどころかゴウトは戦慄した。
 あるはずのない双眸がこちらを粘っこく見ているような、恐ろしいほどの圧迫感を感じたのだ。

「使うなら使うでそれ相応の代価は、もらわななぁ」

 弧を描いた杖が、ゴウトの首に突きつけられる。
 悪魔の口とおぼしき部分が、にちゃぁっと裂けた。




「儂はミシャグジ。荒ぶる神ぞ」






 ここまで、か。
 圧倒的不利にゴウトは己の身を潔く諦めた。  
 だが、ゴウトは口を開く。
それは最期を長引かせるためではなく・・・・・・。
「ミシャグジよ」
不思議と焦りはなかった。
「ささげものが必要ならば、まず俺を喰らうがいい」

「・・・・・・」
 怪訝な悪魔に、ゴウトはようやく前足を踏み出した。
「十四代目は我らの希望。未だ安定せぬ世に必要な存在だ。同じく雷を使いしミシャグジの力も欠けてはならない」
「ほぉ」
「葛葉ライドウが要らぬと云うまではな」
「・・・・・・云いおるのぉ」
 苦笑する悪魔を、ゴウトは翠玉の瞳で貫いた。
「おまえが葛葉に助力するならば、我らも誠意を見せよう。はむかうならば消すまで。・・・・・・どうかな?」
「ふむ」
 まんざらでもない様子に、ゴウトは最後の釘をさした。
「その代わり、その暁には未来永劫、葛葉に従ってもらうぞ」
「ちょっと待て。割にあわんぞ」
 愚痴る悪魔に、ゴウトは鼻を鳴らした。
「わかっていないのはそちらのようだな。葛葉に手を出すとは、そういうことだ」
「・・・・・・ぬぅ」
 反論しないところを見ると、この悪魔にもゴウトにかけられた呪の力が見えているのだろう。
 葛葉の、修羅の呪いが。

 一つ深呼吸してゴウトは眼を閉じた。
 あとはただ、心の中に浮かんだ顔の主を淡く呼んだ。

「さぁ、・・・・・・俺を喰らえ」








 永遠ともつかぬ沈黙の後、構えを解いたのはミシャグジであった。
「やめぢゃ」
 悪魔はくるりと背を向け、呟いた。
「年寄りは早寝ぢゃからのぉ。いつまでも童子の相手はできん」
 剣呑な雰囲気が霧散し、ゴウトは肩の力を抜いた。
 ゆるりと目を開けると、月光がひどく眩しく感じた。
「・・・・・・俺も年寄りの相手は骨が折れるな」
「ふん、ジジイのくせに」
「・・・・・・っ! おい」
「なんぢゃい、むっつり助平」

「・・・・・・十四代目を、頼む」
 重い言葉に、ミシャグジはちらりと顔を向けた。
「そういうのはなぁ、百万年早いぞ?」
「・・・・・・」
「そうさなぁ、おぬしが十四代目に『キス』できたら考えようかのぉ」
「爺・・・・・・そんな言葉どっから」
「ふぉっふぉっふぉっ。それができんのなら、おぬしが少しでも長く寄り添うてやれ」
「・・・・・・俺は」
 威勢のよさはどこへやら、躊躇うゴウト。
 その頭を、無言でミシャグジは撫でた。
 慈しむように哀れむように。
 離れていった感触を追うように、ゴウトは視線を上げた。
「今夜のことは十四代目に・・・・・・」
「そこまで儂も野暮ではない」
「・・・・・・すまない」
「おいおいお目付役殿がしおらしいと示しがつかんぞい?」
 わざと茶化して云う悪魔が、この時だけはありがたかった。
「満月は調子が狂うな」
ぽつりと漏れた猫の響きに、悪魔は神妙な顔をした。
「初代よ。せいぜい気をつけることぢゃ。月で狂うは、悪魔だけではないぞ」
「・・・・・・それは」
 どういうことだ。
 先を促せば、珍しく悪魔の躊躇いを感じた。
「・・・・・・なぜ、管に封じられし儂がこうも易々と外に出ているかわかるか」
 淀みなくゴウトは答える。
「ライドウに命じられたからだろう」
「儂がいつそんなことを云ったんぢゃ?」
「・・・・・・」

 どくん、と心臓が跳ねた。

「なぜ召喚されていない儂がここにいるのか考えたか」
 召喚者の意志とは別にこの悪魔は管を出ているだと?
 先ほどより高く大きく脈が鳴った。
 聞いてはならないと本能が警告する。
「やめろ・・・・・・」
 けれど残酷に悪魔は口を開いた。ことさらゆっくり、猫なで声のごとく優しく。


「なぜ―――さまなぁはここにいないのかのぉ」


「まさかライドウを!」
「さて、な。己が眼で確かめるがよかろうて」

ゴウトは最後まで聞かず、その場を走り去った。






扉をくぐるのももどかしく、ゴウトは窓から探偵者に侵入した。
「ライドウはいるか!」
「ぎゃー! ゴウトが俺の頭に爪たてたー!」
「鳴海! ライドウはどこだ!」
「にぎゃー! ライドウなら」

「ここに」

 声を探れば、こちらを見つめるいつもの瞳。
「お帰りなさいゴウト。どうかしましたか」
 十四代目の涼しげな声に、ゴウトは駆け寄っていった。
「おまえ何もされていないか!」
「え?」
「ははぁん。ゴウトさんたら焼き餅?」
「黙れ」
「・・・・・・ゴウトって時々ものすごく冷たいよねぇ」
 ぼやく迷探偵にはかまわず、ゴウトはライドウの答えを待つ。
「特に何もありませんでした」
 長い睫毛に縁取られた光は穏やかで、ゴウトはようやく安心した。
 が、

「ふぉっふぉっふぉっ青春ぢゃのう」
 唐突に後ろから聞こえてきた声に、振り返りざま吠えた。
「ミシャグジ、貴様!」
「ミシャグジさ・ま・ぢゃ! 間違えるでない! 近頃の若いモンときたら・・・・・・」
 ぶつぶつと呟く悪魔に構わず、ゴウトは構えをとかない。
 ライドウを庇うように立つことも忘れない。
「いつのまにここへ来た!」
 悪魔に吠えかかるゴウトに、ライドウは首を傾げた。
「ミシャグジさまなら、ずっとここにいましたけど」
「・・・・・・え?」

 虚をつかれたゴウトは、少し冷静になった。
 改めて部屋を見渡すと、テーブルを囲むようにして三人、いや二人と一体が座っている。
 この配置はもしかして・・・・・・。
 「今宵は儂の全勝ぢゃ!」
 案の定、ミシャグジさまが点棒をじゃらつかせていた。
 「ううう。俺の血と汗と涙と色気の結晶が~」
「鳴海さん。出すもの出してくださいね」
「あ! ひどーいライドウちゃん! いつからそんな悪い子になったの!」
「僕は負けた分のお金は、きちんと払っています」
「うわぁ皮肉までー!?」
「さぁ儂に差し出すのぢゃ!」
「え~」
 しぶしぶ財布を取り出した鳴海は、「満月って悪魔の麻雀勝率も上げるのかなぁ」とぼやいている。
 目前のほのぼのした会話をどこか遠くに聞きながら、ゴウトは愕然としていた。
 ミシャグジは今晩ずっとここにいただと?
 では、さっきの会話はどうなる?
 絡みつくようなあの毒気は、会話は、いまだおさまらないこの呼吸は・・・・・・。
 しかし、この鳴海の嘆き様、局を終えた雰囲気。かなり前から行われていたことは間違いない。

 ―――違う悪魔だったのか。

 ようやく結論に達し、ゴウトは脱力した。
「そういえばゴウト、ライドウに用があったんじゃないの?」
「事件ですか」
 覗き込んでくるライドウを長く見つめ、ゴウトは顔をふせた。

「いや、いいんだ」

 ちらりとミシャグジを見ると、なにやらニヤニヤ笑っているような気もしたが、それすらもどうでもよくなった。
 仮にあのミシャグジが目の前のミシャグジと同じだとしても、構わない。

「今度はゴウトも一緒にやりましょうね」
「待ってたのに帰ってこないんだから。四人だったら負けないからね!」
「・・・・・・そうか」
 ゴウトは微笑した。





 満月で狂うのは
「悪魔だけじゃない、か」
 沈着な自分がこうも乱れるとは。
 軽く頭を振って、ゴウトはライドウを見上げた。





 己を狂すのは、満月だけではない。
 白い光は、闇を曝く。
 たとえこの身が滅びようとも、こい惹かれずにはいられない。







 疲労感に襲われながら、ゴウトはライドウの肩に乗り上げる。

 白い肌に、黒い頭を擦りつけた。










 
 ライドウを巡るミシャグジさま対ゴウトでしたv
 本物のミシャグジさまはどれだ♪って感じですね(そうか?)
 今回のSSはゲームのプレイ中、ずぅっと気になっていたことがヒントになりました。 
 即ち

 ライドウの頭の位置にジャストフィットなミシャグジさまのお腰。

 やべぇ。やべぇよ。

 ミシャグジさまについても少し調べたのですが、こちらも、その。
 あたらずとも遠からずの危険性を兼ね備えておられて。

 やべぇ。やべぇよ(笑)
 
 ですから、うっかり色物な内容になったのは私のせいではありません(ニコリ)
 それよりも、皆様の各キャラクターへのイメージ像を壊してしまったかもしれないとオロオロしております。あの、はい、すみませんでした!
 それでもここまでつきあって下さった皆様!
 本当に本当に、読了ありがとうございました!           2006.5.17