「ただいま戻りました」

 返らぬ声に、ライドウは首を傾げる。
 気配を探り、ソファに近づけば、寝入っている所長を見つけた。
 すらりと伸びた四肢。柔らかな髪。
 これらが夜な夜なライドウを捕まえる。肌に匂いを擦りつける。

 悪い夢でも見ているのか。

 顔を覗き込めば、いつもは微笑みを浮かべている一つ一つが、微かに歪んでいた。
 眉は寄せられ、唇は浅く喘いでいる。
 意識が飛ぶ直前も、そういえばこんな風だったと思いだし、ライドウは顔が熱くなった。
 軽く頭を振って、汗ばんだ鳴海の髪を梳いた。

 と、彼の唇が微かに音を漏らす。
 ライドウは一瞬手を止め、そして応じた。
「大丈夫ですよ。僕は、ここにいます」
「・・・・・・   」
 荒い呼吸は、次第に穏やかになっていった。



 嗚呼、この人からこれ以上、何ものをも奪わないでください。
 この人が受ける痛みを、どうか僕の元へ。
 この人の笑顔のためなら、いくらでも耐えましょう。
 思うことを許されないこの身に、心をわけてくださった彼のために。
 だからお願いです。
 この人を僕から奪わないで。
 この人の元へ帰るための試練をください。
 名を継いだ僕には、この人以外、何もないのだから。



 しばらくしてライドウは、へばりついた前髪を避け、額を見つける。
 恭しく顔を寄せ、
 おまじないのキスをした。






 
                                     2006.9.21