優しく揺り起こされて、リャナンシーは目を覚ました。

 主の名を口にしたが、応えが返る代わりに、現世の風が髪を弄ぶ。 
 銀楼閣の屋上。
 揺さぶられたと感じたのは、異界から戻る際の反動だったと気づく。
 意識が途切れる前に、柔らかな感触、あるいは光に包まれたような・・・・・・。

 ぼんやりと景色を眺めていると、目前を闇が覆った。


「・・・・・・ライ様」
「リャナンシー」
 同時に互いの名を呼び、二人は躊躇った。
「ライ様から」
「いや、構わない。リャナンシーから云ってくれ」
「でも・・・・・・」
「そうじゃないと、お前が倒れそうだよ?」
 このところすっかり窶れたライドウが、優しく微笑む。
 つい先ほど、その痛みと辛さの一握りを味わったリャナンシーは、不覚にも涙が出そうになった。
「ライ様・・・・・・」
 癒しの呪を唱えようと、ライドウに触れかけてリャナンシーは、はっと気づく。
 彼の傷は、この呪では癒せない。
 外傷は治癒できても、じわじわと呪われ衰えた身体を回復することはできないのだ。
 長い療養か、あるいは他の仲魔の力が必要だ。
 リャナンシーは行方を見失った掌を己の腕に這わせ、傷一つ見あたらない肌にまた胸が痛くなった。
「・・・・・・パールヴァティの姐さんは?」
 ライドウは頷いてみせる。
 彼の刀は、断末魔を吸い取ってはいない。
「ようござんした」
「ん?」
「姐さんは、悪くないんす」
 沈黙で待つライドウに、リャナンシーは唇を噛んだ。

 ・・・・・・この罪は赦されるのだろうか?
 ・・・・・・いや、赦されない方がいい。
 震えながらも居住まいを正した。
「ライ様。わちきはライ様に嘘を吐き申しんした」
「・・・・・・」
「ライ様。最近、身体がお疲れでありんしょう? それはわちきのせいでありんす」
 何も云わないライドウが怖くて、リャナンシーは言葉を紡ぎ続ける。
「知恵の輪は、英知の象徴。けれどわちきの輪は、解く度に使用者の力を増し代わりに精気を吸い取るんす。解き終わった時・・・・・・」
「・・・・・・解き終わった時?」
 ライドウが躊躇いを赦さず、次を促す。

「・・・・・・使用者の命まで吸い取りやす」

「・・・・・・」
 リャナンシーは初めて地に降り顔を伏せた。
 高潔な彼女には、このくらいしか浮かばなかった。
「おゆるしなんし・・・・・・」
 赦されないと知っていて、リャナンシーは赦しを乞う。
 断罪されることを望んで。

 かつ、と靴音が近づく。
 鳴る度に、リャナンシーの細い肩がびくりと動いた。
「リャナンシー」
「は、い」
 瞼を閉じたい衝動を必死に抑える。
 しかし、ライドウの口から罵声は飛び出さなかった。
 代わりに、ぽんと頭に手を添えられる。

「もう隠し事はなしだよ?」
 ライドウはリャナンシーに微笑みかけた。
 のろのろと顔を上げた悪魔に、頷いてみせる。
「ライ様・・・・・・もしや最初から知って・・・・・・?」
「僕はデビルサマナーだ。仲魔のことを知らないはずないだろう?」
「なら、どうして」
「お前の口から聞きたかったから・・・・・・」
 ライドウは言葉が出てこないようだったが、リャナンシーには何となくわかった。

 意思を持つ限り、悩みや不満は出てくる。
 それをすぐに口にし、相談できるならそれでいい。
 しかし、それを中々口に出来ない時期や本人の性格がある。
 ライドウは、意固地なリャナンシーを身体を張って受け止め、待っていてくれたのだ。
 相手の負担にならないように。
 傷つけられながらも、ただ黙って信じて。
 さらなる不安は与えないように微笑さえ浮かべて。
 何と不器用で腹立たしく・・・・・・こんなにも愛しいのだろうか。

 耐えていた涙が、ぽろぽろと零れ落ちた。

「後で理由を聞かせてくれるね?」
「はい。・・・・・・ライ様、ほんに・・・・・・」
「僕も言葉が足りなかった。お相子だ」
「もう、もう、堪忍しておくれやす」
 リャナンシーはライドウの胸に飛び込んだ。
 知恵の輪を渡した時より、華奢になった身体を感じて、嗚咽が漏れた。









 哀しげに語るライドウに、仲魔は微笑んだ。
「済まない・・・・・・リャナンシー」
 ライドウは目を逸らして少し俯く。
 リャナンシーの想いを聞いた後、暫くしてライドウは別れの言葉を告げた。
 決して今回の顛末が招いたことではなかった。
 ただ今夜の任務に管の空きが必要になったのだ。

 リャナンシーを選んだのは、前々から秘かに決めていたことで。
 
 パールヴァティの介入がなければ、リャナンシーの言が無ければ、ライドウ自身がリャナンシーに問いただしていただろう。禍根を除き・・・・・・告げるために。

 だが、何故それが今日なのだろう。
 互いがわかりあえたその矢先に重なり果たさねばならないのだろう。

 何て残酷な。
 これがデビルサマナーの業だとでもいうのか。

「いいえ。わちきには当然の報いどす」
 透明な声に、ライドウは首を振る。
「そうじゃないんだ」
 リャナンシーも首を振る。
 彼の苦しみを、優しさを、わかっていたから。
「皆まで云わんで・・・・・・」
 そっとライドウの唇を、塞ぐ。
「また逢いに来ますぇ」
「あぁ・・・・・・」



 時間の迫る中、ぽつりぽつりと言葉が零れる。
 殆どとりとめのないことだったが、二人の顔が綻んでいった。

「ライ様、もう少し女の扱いうもうなったほうがようございんす」
「たらし込めと?」
「・・・・・・本気になったらあきませんぇ」
 唇を尖らす悪魔に、ライドウはくすりと笑った。

 嗚呼、惚れたら負けだと云ったのは誰だったか。
 それならば、リャナンシーは疾うの昔に、負けていたのだ・・・・・・。

「わちき、今度ライ様と一緒になったら銀ブラしとうございんす」
「あぁ」




 傾いた陽が沈み、夕闇が辺りを包み始めた。
 
 リャナンシーは身を起こし、宙に浮く。
「ライ様・・・・・・元気で」
「・・・・・・」

 異界との狭間を目指して、リャナンシーはゆっくり飛んでいく。
 堪えきれずに振り向けば、ライドウがじっと見つめていた。
 リャナンシーは唐突に、見落としていた最後の欠片を見つける。

 そうだった。
 ライドウは、いつも周囲の悪魔や目付役に気を取られているが、仲魔との別れの時だけは、ただ一体を見つめていた。
 別れを告げられた悪魔が、寂しそうに、しかし陶酔の表情で去った理由をリャナンシーは漸く悟る。
 思えば初めて出逢った時もそうだった。
 一途に見つめる灰白色の瞳。
 強引な手管に苛立ちを覚えたのは、惹かれていたことを認めたくなかったから。
 その瞳から逃げられなくなることを恐れながらも享受し、またその時が来ることを焦がれていたのだ。





 異界に半身を潜らせていたリャナンシーは、天から舞い降り、ライドウに手を伸ばす。
 足先から消えていく身体を物ともせず、主の頬を包み込む。
「ライ様・・・・・・」

 近づけた唇は・・・・・・。


 リャナンシーの残り香もやがて解け、風が攫ってしまった。









 嗚呼、我らは人の子に囚われ、その瞳に溺れることを望む悪魔。
 ただ己だけを見つめる光に恋い焦がれて、添い続ける愚者なり。 









「虜囚殉情」完。



 
 後編をお届けしました。
 実はこの話、ゲーム中、仲魔との別れがあまりにも呆気なく「そりゃないよ!? ムキー!」 となったところからヒントをもらいました。
 あんなにイチャラブ(・・・)だったのに、別れは一瞬かよ!? ・・・・・・と。
 なので、まぁ最後は二人きりで切なくを目指して書いて・・・・・・予定は未定(泣)長い話って書くの難しい・・・・・・。
 
 リャナンシーの変貌っぷりには正直、梶浦も驚きましたね! どんだけパールヴァティに締め上げられたんだか(笑)でも素直になれない子っているもんなぁ。親しくなるうちに、ごろにゃんな性格が露見したり(笑)わからないものです。
もう一人の素直になれない某雷堂ちゃんは、うーむごろにゃんには(遠い目)
 読んで下さった皆様、ありがとうございました!

 殉情・・・・・・感情に全てをまかせること。
 純情・・・・・・自然な人情。いちずな情愛。

                                          2006.6.28