「・・・・・・遅いな」
ゴウトは傾いた陽光に眼を細めた。
「ん? なにが?」
「・・・・・・ライドウの帰りが遅い。もう夕刻だというのに」
窓から視線を外さないゴウトに、鳴海はニヤリと笑った。
「ライドウちゃんも色恋に目覚めたんじゃない?」
「そうかな」
「淡泊だねぇゴウト。ライドウだって男の子よ? あの年頃って云ったら、それはもう凄いんだから! 俺もあの頃は」
「今も、だろう? あまりライドウに吹き込むなよ」
両目が異様に輝きだした探偵は、気だるげに頬杖をついた。
「過保護だねぇ。そんなにライドウちゃんを誰かにとられたくない?」
「・・・・・・俺は目付役だ」
「だから?」
ちらりと鳴海を見て、ゴウトは窓の桟へ跳び乗る。
「うつつを抜かさぬよう忠告してくる」
遠のく足音に、鳴海は破顔した。
ぴくぴくしていたヒゲが、ゴウトの心中を物語っていて。
「素直じゃないんだから」
淡恋歌
弓月の君高等師範学校。
金王屋。
筑土町内で思いつく限りは回ってみたが、ライドウはいなかった。
途中、子供や女学生に追いかけられたり、そば屋伊坂屋ではちあった野良猫と火花を散らしたりしたが、騒ぎを聞きつけて走り寄る書生の姿はなかった。
「次は終点、志乃田ぁ」
ゴウトは電車が完全に止まりきる前に、窓から跳躍した。
歩くほどに濃さを増す靄。緑に埋もれた名も無き神社。人気も魔の気配も封じられた清すぎる空気の中に、見知った姿を見つけてゴウトは少し落ち着いた。
「オオクニヌシ、ライドウを知らないか」
「久しゅうゴウト殿。主ならば」
青白い手が森の奥を指す。
「我は捜査中ゆえ失礼する」
高嶺の花をかけ直し去りゆくオオクニヌシに、ゴウトはふと疑問が湧いたが、自身も森の奥へと身を滑らした。
「ラ~イ~ド~ウ~」
ぴたぴたと肉球でライドウの頬を叩いたが、目覚めない。
「おまえという奴は・・・・・・」
ようやく見つかったと思えば、ライドウは木陰ですやすやと眠っていて。
・・・・・・溜息を吐くくらいは許してほしいものだ。
ひょいと膝に乗り上げ、ゴウトはライドウの顔を覗き込んだ。
それにしても呆れるくらい見事な熟睡っぷりだ。
ここのところ昼は学校、夜は調査という激務を繰り返していたので仕方ないといえばそうだが。
「無防備すぎないか?」
それとも、俺だからこんなにも・・・・・・。
一瞬浮かんだ考えに、ゴウトはぶるぶと首を振った。
いかん。最近どうも鳴海と女学生に毒されているような気がする。
くそっ。俺は目付役だ。それ以上でもそれ以下でもない。
「ライドウ、起きろ」
少し声に験が混ざった。
「・・・・・・んっ」
一度、身じろぎはしたものの、ライドウは起きない。
反動で掛けてあったマントがずり落ち、ゴウトに覆い被さった。
「にゃー!」
思わず猫語で喚き、じたばたとマントから脱出する。
おまけに顔を出したところで、船をこいでいたライドウと口づけてしまった。
「・・・・・・!?」
なんとか悲鳴は飲み込んだものの、口づけ一つに恥じらう年でもないものの、不意打ちにひげがぴん、と立った。
「わざとじゃないだろうな・・・・・・」
荒ぶる呼吸でライドウを伺うが、相変わらず瞼は閉じている。
「普段、お前が甘えていたら俺も叩き起こすんだがな」
考えにくいことだがオオクニヌシも気をつかったのだろうかと、ふと思う。
魔の気配のない神社に、退魔の術など・・・・・・。
―――ゴウトの心配は無用だったのかもしれない。
「ライドウを誰かにとられたくない?」
探偵社での会話が思い出された。
近づくには躊躇いが大きく、遠ざかるには胸がざわつく。
今の状況が、それに似ていて。
この想いに名をつけられるかはわからない。
この身で名をつける資格があるのかもわからない。
使命にかき消されそうな、淡い思慕。
だがライドウのあどけない寝顔に、まだお前とは離れられそうにない、と苦笑する自分はいる。
・・・・・・近づく理由を、探している。
「・・・・・・今日だけだからな」
ゴウトはマントを咥えると、声とは裏腹に優しく掛けてやった。
そして、ライドウの膝で丸くなると自分も寝息を立て始める。
微かにゴウトを抱きしめたような気配がした。
2006.5.17
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