また、此所に辿り着いてしまった。

 昏く、生臭く、肌に粘つく、混沌とした不毛の地に。
 身体の芯から嬲ってくるような颶風に、眼を閉じそうになる。
 だが、自分の意思で、瞼を閉じられないことを知っていた。

 死刑宣告を待つ囚人のように、否、咎人として鳴海は立っていた。


 やがて、現れた何人もの「鳴海」が、自分を取り囲む。
 軍隊にいた頃の、青臭い鳴海。
 隠密で世界を飛び回った頃の鳴海。
 軍を抜け、逃げ、茫漠と日々を送っていた襤褸屑のような鳴海。
 
 かつての自分の姿を纏った何者かは、当時使用していた武器を、今の鳴海に向け、そして・・・・・・儀式は始まる。

 日本刀。
 仕込み杖。
 銃。
 
 斬る。
 殴る。
 撃つ。

 血飛沫。
 鬱血。
 破砕。

 決して止むことはない地獄。
 鳴海が、物言わぬ肉塊になるまで。
 何度でも続けられる。

 動かなくなったところで、鳴海達も、姿を変える。
 利用し、貶め、駒のように扱った人々の顔となり、手となり、血にまみれた何かしらになり、思い思いの復讐をする。
 
 立て、と命令されたので、起き上がれば、地に叩きつけられた。
 立て、と再度命令されたので、身を起こそうとすれば、踏みつけられる。
 肉体を壊され、言葉で嬲られ、嗚呼、と鳴海は血を吐いた。
 

 何故、わたしを捨てたの。
 苦しい寒い助けて。
 信じていたのに。裏切り者!
 ・・・・・・殺してやる。


 すまないすまないすまない。
 
 懺悔の声に、何かがひしゃげる音が重なる。

 済まされない済まされない済まされるわけがない。
 だから。
 ゆるされない許されない赦されない。
 ゆるさない。
 
 

 終わらない責め苦の痛みと恐ろしさに、膝をつき、地に伏した。
 
 
 あの時は、ああするしかなかった。
 もう一度、あの時に戻れるとしても、また同じ事を繰り返すかもしれない。
 命など惜しくはないと誓いながらも、死ぬわけにはいかなかったのだ。
 何と、愚か。何と、汚い。その生き方。

 悔恨と言い訳の嵐に、身体が震えた。
 ・・・・・・このまま消えてしまいたい。

 そう思った瞬間、腹の底から、どくんと何かがせり上がってくるのを感じた。
 身を折れば、その熱さが全身に伝わる。
 唇が震えた。
 何と、自分が笑っていることがわかった。
 可笑しい?
 そう、壮絶に可笑しい。
 とうとう鳴海は、狂ったように大笑した。
 
 笑い過ぎて、ひゅうひゅうと喉から音が漏れてきて。
 いつの間にか、復讐者は消えていた。

 そう、これは夢なのだ。



 所詮、この程度。
 過去の疵にすり込まれる罪の塩は、己を責めるが、一方で罰をくれる優しさを持ち合わせている。
 自分の作り上げた罪と贖いなど、たかが知れている。
 他人の作った贖罪が、果たしてそれ以上に酷いとは限らないが。

 懺悔、か。
 生きながらえる為の責務と恩赦だ。
 狂った筈の理性を、緩やかに生かし続ける儀式なのだ。
 
 嗚呼、何て馬鹿馬鹿しい。
 殺してくれと云いながら、救いを求める愚かしさ。
 吐き気に呻き咳き込んだが、無傷に戻った自分の体躯に、可笑しくて、情けなくて歯を食いしばった。







 ふと、鳴海は首を傾げた。
 そういえば、先ほどの儀式で、何か、足りなかったような気がする。
 
 ぼんやりして、鳴海は徐に地面を掘りだした。
 土の感触がしたが、どうせ夢なのだ。まやかしだろう。
 初めは丁寧に、徐々に乱暴に掘れば、爪に粘土が入り込み、諸共、折れた。
 不思議と痛くはない。
 散々暴行されていた時は、発狂しそうなほど辛かったのだが。
 適当だな。我ながら。
 掘って掘って、自分が隠れる程掘ったところで、

「鳴海さん」
 
 上から声がした。
 柔らかな微笑をたたえた、その唇。
 
 見上げる首の痛さに、そっか、と唐突に悟る。
 俺、自分の墓穴を掘っていたのか。


「お前が殺してくれんの?」

 すっと自分に向けられた手には、銃・・・・・・

 ・・・・・・は、無かった。


「鳴海さん」

 見つめてくる、その双眸。

「鳴海さん」

 見上げすぎて、首が痛いよ。

「鳴海さん」

 楽になってもいいか? いっそ、楽にしてくれよ。

「鳴海さん」

 なぁ、お前。そんなに優しい眼で見るな。

「鳴海さん」

 痛いんだよ。
 その視線が。

 憎いんだよ。
 縋り付いて、抱きしめて欲しくなるから。

 嗚呼、もう、
 ・・・・・・助けてくれ。


 堪えきれなくて下を向いた頬に、そっと白い手が寄せられる。


 すまない。
 お前を、こんな所にまで引き寄せて、すまない。


 触れてきた、その温かさに、とうとう涙が出た。



 俺は、お前に愛して欲しかった。
 愛したかった。
 もう一度、誰かと幸せになりたかった。
 過去を隠してでも。



 なぁ、どうしてこんなに汚い俺に触れてくれるんだ?
 そんなに綺麗な瞳をして。



 ・・・・・・なれるだろうか。
 俺も、人を愛せる者に。愛しても、いい者に。
 もう一度、・・・・・・・・・・・・。
 なぁ、――――。



 鳴海さん。

 呼ばれて、ゆるゆると顔を上げれば、

 額に温かいものが広がり、白い白い手が、瞼を、意識を、覆っていった。










                                   2006.10.26