闇に紛れて、足音を消した。
其の差分は、やがて他人の不協和音が埋めて、空中で飽和し、奇妙なビブラァトが支えた。
「糞がっ・・・・・・!」
地に血を吐いて、断末魔をあげる標的を、俺は見つめた。
やり損ねた。
無感動に、右手を振る。
今度こそ沈黙で満たされた筈の耳に、鈍い音が覆い被さる。
「・・・・・・痛いじゃないか」
「何で!?」
”一緒に”標的を殺しに来た相方が、驚愕する。
「避けられる距離じゃないのに!?」
完璧にしくじった女の歪んだ顔に、はらりと布の散った肩をさすって、微笑みかけてやった。
「そりゃあ、『攻撃を受ける筈のない相手』から何の心の準備もなく、襲撃されたら避けられない距離だけどな。
『裏切り者』の相手から攻撃を避けるには、十分に余裕があったぜ」
「だから、なぜ、それを・・・・・・っ」
じりっと近づくと、益々恐怖に歪む顔がおかしくて、初めて心の底から笑った。
「答えは簡単。裏切るお前しか信じてなかったから」

月を仰いだ女を貫いた音は、滑稽な程、軽くて乾いていた。






「よくやってくれた」
上層部の言葉に、男は一礼した。
忠誠など誓うつもりはなかったが、今から組織に加えてもらおうとしている手前、演技をしないわけにもいかないだろう。
初任務を終えた実感と興奮からやや紅くなった頬に、賞賛からくる感動の瞳。
ーーー糞くらえ。
「裏切り者の始末まで、本当によくやってくれた」
「礼を云うわ。彼の女、そのまま国外に逃げる手はずだったらしいから」
誉められたくてやってんじゃねぇ。
自分の都合でやっただけだ。莫迦野郎が。
昔は表と裏の顔を使う度に、吐き気がしていたが、今は慣れた。
歳を取ったか。
「まぁ試験は合格だな。これからは、存分に我々と働いてもらおう」
「それでは、次の任務なのだが・・・・・・」








気がつけば境内に向かって歩いていた。
莫迦か、俺は。
穢れを厭う神社に来てどうする。
懺悔するなら教会に行けよ。
くくっと喉を鳴らそうと思って、失敗した。
本部から出た後の記憶は、あまりない。
もう一件、挨拶しなければならない相手がいたのだが・・・うっかりしていた。
ま、どうせ今夜は出動もしないだろうし。
後で怒られるだけだろ。
逆流しそうになった胃液を飲み下して、灯籠を背もたれにずるずると座った。

「ったく。それにしても、彼の女、スパイだったとはねぇ」
葛葉に入る為の試験が終わるまでの一週間、無駄口を叩かなかった反動か。
独り言で饒舌になっている自分に、阿呆らしい、と思いながら、また笑った。
「あっちの具合は、よかったんだが。スパイとしては三流だったなぁ」
砂利を掌にかき集めて、草むらに投げた。

ーーー海が見たい。
ーーーこの任務が終わったら、あんた連れっててよ。

「海って国外逃亡するつもりだったんだろうが。莫迦が」
たった一週間だけ付き合った女の睦言が、今囁かれているような錯覚を覚えた。

ーーーもう誰も信じられないと思ってたけど、あんたは信じられそうね。
ーーーあたしを信じなくてもいいけど、あんたを信じるのはあたしの勝手でしょ。

「殺すつもりの相手に、ぬけぬけと言えるもんだぜ」

ーーーあんたを受け止めるから、あたしを受け止めてよ。今だけでも。

投げ続けていた砂利を地面に叩きつけた。

「・・・・・・期待してないのに、何で云いたがるのかねぇ」

ーーー寂しいのよ。
ーーー証が欲しいの。

ーーー俺も、さ。


目眩がして、男は肩から崩れ落ちた。
冷たくて痛い地面に、するすると涙が落ちていった。

嘘だ。
本当は、信じていたのだ。
彼の女を。



何故、裏切りに気づいたのか。

否。裏切りに気づいていたんじゃなかった。
本当は、今朝から死相が出ていた女の顔が気になって、
ずっと気配をさぐっていたのだ。
たとえ其の運命が避けられないものだとしても。
護ってやりたい。
傲慢にも、愛しさ故にそう思っていた。

だから。

彼の時。

咄嗟に避けた躰の向こう側で、一番驚いていたのは自分だった。
何故。
殺そうとする。
何故。
約束を破ろうとする。
俺が何をした。
お前、何をしようとした。

裏腹に、さっさと冷めた殺し屋の理性が、血を求めて行動した。

命を奪うことと、奪われることの義理人情など、さっさと頭の中で決着をつけた筈なのに。
出るな。涙。

「此処にいたのですか」
不意に降りてきた声に、柄にもなく男は怯えた。
「随分、探したのですよ」
落ち着き払った声に、急に、男は恥ずかしさと屈辱感でいっぱいになった。
糞っ、何で今来るんだよ。
「そろそろ管に戻ってもらえますか」
譲歩のように聞こえて、命令の響きを内包した声に、暫くして男は立ち上がった。

「なぁ」
「はい?」
「俺が裏切ったら、お前が殺してくれよな」

後ろを向いたまま、男は問う。
主になるお前に、俺を使う気概はあるのか、と。

「厭ですよ」
真っ白になった頭の中に、涼しげな声が染み通る。
「裏切るなんて赦しませんよ。裏切ったら、一生飼い殺しにしてあげましょう」
「・・・・・・それでも裏切ったら? あんたを殺そうとしたら?」
「潔く消えなさい。此方の手を煩わせないでください」

ぎりっと奥歯を噛んだ。
そして、男は、幸福そうに歪に笑った。
そうだ。
これでいい。
残酷な主。
残酷なまでに美しい主。
残酷な運命を決めてくれる主。

優しい言葉は、聞き飽きた。
讃辞の言葉も、鬱陶しい。
だから、残酷なくらいが丁度いい。

「宜しく頼もう。主よ」
それでも、振り向いた時に差しのばされた手は好意的だったから。

素直に翠色の光に呑まれた。





「お還りなさい。僕のもとへ」
其の言葉に、漸く新しい仲魔は、安らぎを手に入れたのだった。











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葛葉にくだった悪魔の話。
中年くらいの経験がありそうなのに、ぐずぐずしてます。
後は、残酷な少年が書きたかったり(笑)
しかし、裏切り者へのくだりは嘘もあったり。
優しさだけが救いにならない時もあるよねーと思って、書いてみたりしましたが。
上層部はともかく、それぞれ各々好きあってはいるのですよ。程度の違いはりますが<そこだけ救いかい

次は、ちゃんとした萌えが書きたいです(爆)

2008.1.14