「鳴海さん、いつも済まないねぇ」
「困ったときはお互い様。おばちゃんには世話になってるしね」
「この前だって、うちの店に怒鳴り込んできた荒くれ者を追い出してくれただろ? 今日は、酔っ払いの介抱を手伝ってくれてさ。あたし腰悪いしさ、ほんと助かるのよね」
「そう?」
「優しいよ、鳴海さんは」
「ははは。誘惑しちゃうよ、おばちゃん」
「ふふふ。今の亭主がいなくなったらね!」
「じゃ。また来るわ」
 裏通りの飲み屋を出、角を曲がった所で、鳴海は、微笑むのを止めた。
「莫迦くせぇ」
 煙草を咥えた。





 彼奴さえ。
 彼奴さえいなければ。
 糞。殺してやるーーー!




「鳴海」
 はっと眼を開ければ、雷堂の顔が視界一杯に映った。
「・・・・・・何だよ」
 寝ているのを邪魔されて、鳴海は不機嫌な声を出した。
「寝るなら布団で寝ろ。風邪をひくぞ」
 驚きのあまり、ソファに半身を起こしたままで固まった。
「え? それって告白?」
「違う。看病する手間を省きたいのだ。我にうつされても迷惑なんでな」
 どうやら、鳴海が風邪をひいた時に、看病させてあげて、我が儘いってあげて、ついでに添い寝させてあげて、風邪をうつしてあげたことを根に持っているらしい。
 高熱でうなされているのが可哀想で、汗を出す手伝いをしてあげたことも気に食わないとか言ってたか。
 いっつも夜にやっていることを、朝も昼もやってあげただけじゃねぇか。
「礼には及ばんよ」
「言っていない! 一言も一秒も言ってない!」
「照れ屋だな」
「二度と口を動かせないようにするぞ」
「キスなら受付中」
 上から降ってきた拳を余裕でかわして、鳴海は片足をソファの背に置いた。
「あ。そういえば、棚のところに知り合いがくれたお菓子があるぞ。食え」
 返事がないので、鳴海はごろんと首を雷堂の方に向けた。
「どうした」
「・・・・・・悪い」
「は?」
「優しくて気味が悪い」
「はぁ? オレサマいつもジェントルマン」
「・・・・・・そっちの方がましだな」
 気味悪い。鳥肌がたったと騒ぐ書生に、何だか鳴海はむかついた。
「俺だってやるときゃやるよ」
「何時?」
「お前と・・・・・・って、殴るな莫迦!」
「五月蠅いわ! 歩く猥褻物!」
 散々悪口雑言を言い合って、肩で息をする二人。
 ふん、と雷堂が最後の憎まれ口を叩く。
「初めて此処に来た時は、幾分、多少の優しさを持ち合わせた奴だと思ったが、まやかしだったようだな! 風邪だろうが痛風だろうが勝手になるがいい!」
「・・・・・・ナニソレ」
 何かが癪に触って、鳴海は笑んでいた口を歪ませた。
「俺が、優しかったことがあると?」
 うっとりするような笑みを浮かべて、鳴海は、ゆったりとした動作で雷堂に近づいていった。
 優しい。優しい。優しいだと?
 誰に言われても軽く受け流していた一言が、気に障る。
 何故、此の書生が言うと、こんなにも苛立つのか。
 其の苛立ちを悟られたくなくて、にやっと笑う。
「教えてやろうか」
 怪訝そうな雷堂に、益々苛立ちが募る。
 此奴を傷つけたくてたまらない。
 無邪気で暴力的な子供心のような激しさで、此奴を翻弄したい。
「俺が優しい態度を取るのは、俺が優しい奴だからねぇんだよ」
 嗚呼ついに。
「どうでもいい奴ほど、優しくできるんだよ。」
 雷堂の顔つきが、変わった。
 目のくらむような快感が沸き起こる。
「俺には、殺したい奴がいる。殺しても飽き足りないから、生かしてやってる奴がいる。其奴よりは、他の奴等は、ましだから、たまに優しそうな態度を取るだけなんだよ。ただの気まぐれさ」
 壁に追い詰めてやることなんて簡単。
 潰すぞ、と急所に力を入れると、食いしばった歯から、喘ぎとも悲鳴ともつかぬ息が漏れる。
「優しいふりするなんて容易いことだぜ。簡単すぎて阿呆らしすぎるくらいだ。で、こっからが見物だ。相手のプライドを刺激してやって、持ち上げて持ち上げて絶頂期に地獄にたたき落としてやればいい。其の絶望した顔は、最高に気持ちいい」
 種明かししちまったから、お前には出来ないか、と笑った。
「お前のことだって、どうでもいいんだよ。ちょっと目新しいから、からかってみただけ」
 ほら。傷つけよ。
 お前の辛そうな顔こそ、俺を癒す薬なんだよ。
 さぁ。俺にもっと絶望しろ。更なる絶望を与えてやる。
 生理的な涙に滲み出した目尻を、舐めてやった。

「何で泣いてる?」

 鳴海が言おうとした言葉を先に言われて、戸惑った。
「は? 何言ってんだ」
 まさか、お前の心が泣いてるとかうすら寒いこと言うんじゃねぇだろうな。
 脂汗の浮いた額を、鳴海の肩につけて、ゆっくりと顔をずらしていき、雷堂は、舌を伸ばした。
「・・・・・・涙とは、このような味か」
 鳴海は頭が真っ白になった。
 そして、漸く事態を知って、赤面した。
 うわっ。此奴、俺の涙を舌で受け止めやがった!
 えっ。俺、いつから泣いてた!?
 つーか、何で泣いてんの???
 わかんねぇ。わかんねぇ。
 雷堂を突き飛ばして、鳴海はがくがくと膝を震わせた。
「何で、だ」
「・・・・・・」
「・・・・・・厭だ」
 お約束の言葉や状況に、癒されたくなんてない。
 お綺麗な癒しなんて、不快なだけだ。
 鬱陶しい。気持ち悪い。
 そんなもの、だって、今更。

 ーーー欲しい時に、くれなかったじゃないか。

「鳴海」
 頭を抱え込んで床に座り込んだ最悪な自分に、声が降ってくる。
「鳴海」
 厭だ。聞きたくない。
 耳を塞ぐと、いきなり上から水が降ってきた。
 ーーーは?
 びっくりして、上を向けば、水差しを逆さにした少年の不機嫌な顔。
「後、もう一回くれてやる」
 すたすたと台所に行って水をつぎ足すと、再び鳴海にサァビスする。
「・・・・・・あの?」
「気が済んだか酔っ払い」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・吐きそう」
「承知した」
 雷堂は、俺の首根っこをつかんで、台所の排水溝まで連れて行った。
「吐け」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・やっぱいい」
 げっそりしていると、今度は寒さを感じた。
 震える肩に、ふわりと毛布がかけられた。
「典型的な飲み過ぎの症状だ」
 足下がおぼつかない鳴海は、引きずられるようにベッドに寝かされた。
「もう一回寝て起きたら味噌汁を作ってやる」
「食事の話は止めてくれ・・・・・・」
 吐きそうです。
「チョコレェト。生クリィム。大学芋」
「やめろぉおおお・・・・・・」
「さっきの仕返しだ」
 ふんと鼻を鳴らした雷堂は、紅くなった目元をこすった。
「鳴海」
「ナンデスカ」
「優しくなったではないか」
「はい?」
「古語だ」
 自分で調べてみろ、と少年は楽しそうに笑った。
 そして立ち去ろうとして、雷堂はもう一度部屋に戻ってきた。
「寝る前に、こういう本は避けることだ」
 突きつけられたのは、どろどろの愛憎復習劇が売りの官能小説。
 偶然にも、俺と同じ名前の人物が活躍している。
 その話を、自分のことだと酔った頭が勘違いして、さっきの奇行を演じたようだ。
 恥ずかしい気持ちが、ぽこぽこ浮いてきて、そっぽを向いた。
「たーぶーん」
「・・・・・・没収だ」
「読んでいいぞ。で、卑猥なところを勉強しろ」
「調子が戻った途端、それか。明日、きっちり其の本ごと、けりをつけてやろう」
 今度こそ、立ち去った雷堂に、舌を出す。

 さぁ眠ろうかと思うと、逆に眠れなくなった。
 畜生と思いながら、寝返りを打って染みのついた壁を見つめる。
 
 酔い故の行動とはいえ、さっきの事は、全て虚構を模倣した結果ではない。
 眠っていた復讐心や殺意がアルコォルに浸けられて、臭気を発しながら形を変えて表出したのだ。
 昔の記憶。
 赦し、赦された日々。
 どこかで折り合いをつけたつもりで、まだ澱になって体の奥底で濁っていたのか。
 
「・・・・・・ごめんな」

 ぽつりと夜の底に捧げる。
 相手がいない時ほど、素直になれる。優しくなれる。
「・・・・・・阿呆らしい」
 乙女かよ。
 寝よ寝よ。
 もう一回寝返りを打って、それでも結局、寝付けなくて。
 
 さっきの雷堂のえろい顔を思い出して、夜這いするべきかと悩み、夜を過ごしたのだった。











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優しいという言葉には、
(1)身もやせるような思いでつらい。恥ずかしい。
(2)心づかいをして控えめである。つつましやかである。
(3)節度をもって振る舞うさまが)殊勝である。けなげである。
という意味も本来、あったようです。(goo辞書より)

 萌えシーンは、ありましたが、色々で駄目になったかしら。

                                   2008.2.06