「はぁ~」
雷堂は、聞こえてきた溜息を、またか、と無視した。
ここのところすっかり秋めいて、風は冷たさを増し、空に浮かぶ雲もそのつれなさに震え、千々に惑っている。
探偵社は、いつも通り閑古鳥が鳴いていたが、感じ入るところがあったのか、所長を追い出し、居候の書生に溜息を吐かせている。
雷堂自体は、読書を楽しみ、それなりに秋を満喫していたのだが。
「はぁ~」
何度目かのライドウの溜息に、自分の見ているページがずっと同じだと気づいた。
雷堂も軽く息を吐いて、本を閉じた。
「どうしたのだ、十四代目よ」
日常業務と化した問いに、今日も同じ返事が。
「最近のゴウトは、何であんなにつれないのだろう」
最近に限らず、いつものことだと思ったが、雷堂は黙々と作業を続けた。
「ゴウト殿がどうした」
「相思相愛なのに・・・・・・僕を避けるなんて。そういうプレイがしたいのかな」
I play innocent.
雷堂は、基礎英語で、ひとまず精神を落ち着かせる。
「あ、ゴウト!」
ちらりと声の方向を見れば、予想通り黒猫が一匹。
愛の突進と抱擁を避けられたライドウは、瞳を潤ませ頬を染める。
「嗚呼、酷い方。でも、そこがたまらなく好き」
「五月蠅いぞ。次に云ったら超力ド変態と呼ぶからな」
「そんな・・・・・・! 過激なプレイをしたいだなんて、ゴウト大胆v」
「雷堂・・・・・・この万年花咲サマナーをどうにかしてくれ」
「雷堂! 僕ほどゴウトに相応しい相手はいないでしょう!?」
冷静と情熱の召喚師の間で、雷堂は、ふと視線を逸らし、窓の外を見た。
嗚呼、黄葉の下で昼寝でもしたいな。
軽い現実逃避であった。
『雷堂~?』
仲良くはもる召喚師に、はっとして視線を戻す。
くっ。こんな時だけ、同じ肉食獣の眼をしているぞ!
下手をすれば雷堂は餌食になる。
ならば!
雷堂は、平穏の為に唇を開いた。
「ライドウ。お前は、世界一ゴウトに相応しいサマナーだろうよ」
「聴いたかゴウト!? 僕達は相性最高の恋人だって! むしろ夫婦!?」
「云ってない! 雷堂!」
「何でしょうかゴウトドウジ」
「ちっ。お前、可愛くない反応をし出したな。好きになるぞ」
「駄目だ! ゴウトは僕だけ見ていればいいんだ!」
「遠慮する。つーか、無理だし」
「何云ってるんだよ!? 目付役は、二十四時間、僕のことを見つめて愛の言葉を囁く役目でしょう!」
「それはお前がいつも俺にしてることだろうが!」
今だ!
「・・・・・・ゴウト殿、愛の言葉という自覚はあるのですね」
「・・・・・・あっ!」
「ゴ・ウ・ト~♪」
「ぎゃああぁあぁぁああ!」
雷堂は、扉の前で深々と一礼し、事務所を後にした。
「・・・・・・不憫だな」
公園の長椅子に座り、雷堂はぽつりと漏らす。
窓から見た時よりも、やや離れた位置にある銀杏を見遣る。
我知らず、マントの端をたぐり寄せ、もう一度、「不憫だな」と呟いた。
「お前も人が悪いな」
「業斗。いつからいた」
「さて、な」
寝ころんだ雷堂の胸に、業斗が降り立つ。
伸び上がって、灰の双眸を覗き込んだ。
「ライドウは、目付役に相当執着しているな」
「まぁな」
「妬かないのか」
「何故」
雷堂は、本気で首を傾げる。
ライドウは雷堂であり、雷堂はライドウであるが故に、そこに横たわるのは他人への純粋な愛ではない。
ライドウがゴウトを愛するならば、雷堂も目付役を愛するだろうが、回り回ってライドウと自分への執着が生まれるだけだ。
そして、ライドウが雷堂を見、雷堂がライドウを見る時に、自己愛と二人の差異による偏愛と嫌悪により嫉妬が生まれる。
だから今の段階で、ライドウへの嫉妬が生まれることはない、と思う。
「我には、業斗がいる」
雷堂は、黒い背を撫でた。
「俺は、ライドウもゴウトも好きだぞ」
「・・・・・・業斗」
雷堂は苛立ちを覚えたが、云うことも決まらず、ただ名前を呼んだ。
定まらない視線に、翠の双眸が細められる。
「ライドウは、ゴウトがいなくなったら蘇らせようとするかもしれないが、お前はしないだろうな」
それは、我の想いが浅いということか。
「何故、そのようなことを云う?」
「愛してるからな」
「え・・・・・・!?」
狼狽える雷堂に、黒猫は喉を鳴らす。
「そこは厭がるところじゃないのか?」
「いや、その、急に云うから・・・・・・」
「お前は愛してくれないのか?」
「・・・・・・え、その、」
焦る後継者に、くつくつと笑う。
黒い躰は、気だるげに書生の胸に寝ころんだかと思うと、隙間なく密着し、ずりっずりっと顔の方へ擦り寄ってきた。
驚く雷堂の顎に、ぎりぎりまで近づいて、白い首を前足で抑え、ニヤリと笑う。
「雷堂、本当はな。俺はお前が嫌いだ」
「・・・・・・」
「嘘だ」
「業斗は我を馬鹿にしているのか!?」
雷堂は、かっと眼を見開いた。
「我が嫌いなら、そう云えばいいだろう! それを、そんな、試すように!」
「お前、ちょっと涙目になってないか?」
「そんな筈はない! あるものか!」
「泣くなよ。俺が悪かったから」
「泣いてなど・・・・・・!」
怒り。哀しみ。戸惑い。ごちゃ混ぜになった激情が、瞳に宿る。
ライドウが乗り移ったかの如き、己の変貌ぶり。
曇る視界。
愛していると囁く唇が、他者の名を呟くことがこんなに苦しいとは。
思わせぶりな言葉に、移り気な相手に、翻弄され、それでも眼を逸らすことができないなんて。
きっと秋の所為だ、と雷堂は歯噛みした。
「愛してないって云われたくなければ、
愛してるって云えよ」
ふて腐れて沈黙で誤魔化そうとした首に、牙が当たり、興奮した。
視界の端には、やや色づいた青い葉。
甘い鳴き声に、唇を開くのは時間の問題だとしても。
顎を、唇を、舐められ啄まれて頬が染まるのも、全ては・・・・・・。
2006.10.17
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