黒い外套、帽子、制服。
 黒い猫。それは、許容範囲。
 揃いの歯ブラシに揃いの寝間着・・・・・・と増えてきた所で、雷堂はきれた。

「十四代目! ちょっと来い!」

 業斗に猫じゃらしを使おうとしていたライドウは、三度その声を聞いてから、漸く名残惜しげに此方を向いた。
 その間に逃げた業斗に雷堂はほっとしたのだが、動こうとしないライドウに業を煮やして、手首を引っ掴んで無理矢理、自室に引っ張り込んだ。

「貴様、いつ帰るのだ」
「今日ですか? 雨ですし、外出したくないです」
「そのような我が儘が許されると思っているのか! いや、我が聞いているのはだな! 貴様は、いつ、自分の世界に帰るのかだ!」

「・・・・・・酷い」
「は」
「僕のことは遊びだったのですね」
 よよと泣き崩れるライドウに、雷堂はちょっと狼狽えた。
「いや、その、」
「嗚呼、矢張り・・・・・・。食べて飽きたら、捨てるつもりなのですね。僕は、遊ばれたのですね」
「遊ぶなどと、そのようにふしだらなことをした覚えはない!」
「その言葉、信じていいのですね?」
「勿論だ」
「よかった」
 顔を上げて微笑むライドウに、雷堂は、意識の違いを思い知る。
「云っておくが・・・・・・貴様とは遊びではないが、付き合った覚えもないぞ」
「矢張り、酷い人! 所長に告げ口してこなければ!」
「止めろ! それだけは止めろ!」
「では、僕を愛していますね?」
「まったりとむかつくな」
「ははは」
 ライドウは手に握っていた猫じゃらしを花瓶に挿し、そうだ、と手を打ったかと思うと、懐から何やら怪しげな小物を取り出した。
「是、貴方にあげますね」
「ちょっと待て」
 ライドウを制止し、雷堂は腕を組む。
 漸く本題に入れそうだ。
「何故、一々、貴様の私物を我の部屋に置くのだ」
「・・・・・・何か問題でも?」
「大ありだ。いずれ貴様は、元の世界に戻るのだろう? 無闇に私物を増やすな。増やすなら、きちんと持って帰れるように纏めておけ」
「厭ですよ。何で僕が貴方の云うことを聞かなければならないのですか」
「此所は、我の部屋だ。客人なら、最低限の礼儀は守ってもらおう。
我は貴様の主人ではないが、命令される謂われもないからな」
「我という名の奴隷、でしょう?」
「何だと・・・・・・! 我は我の意思で・・・・・・!」
「では、貴方の意思が反映される此所に僕がいるのも、貴方の意思ですね」
「・・・・・・む」
「そして、僕が此所で何かをしようと思えば、貴方の意思なしでは行えないことになります」
「そ、うかな」
「僕が貴方と同じ物を選択、購入するのは、僕の意思でありながら貴方の意思でもあるのですよ。嗜好が似るのは、必然なのでしょう。同じ十四代目なのだから」
「・・・・・・まぁそうだな」
「では、此所に置きますね」
 わかりやすいでしょう?
 枕元にマトリョーシカを置いて。満面の笑みを浮かべて。
 ご主人様、と嘯いたライドウは、唇を雷堂の其れに押しつけた。
 
 嗚呼、また誤魔化された。
 雷堂がそうと気づくのは、翌朝のことであった。










「トホカミ エミタマ」
 とうとうこの日が来た。
「アハリヤ アソバストナウサヌ」
 朗々とした雷堂の声が、丑込め返り橋を、場に変じさせていく。
 時空を引き寄せる圧に、次第に身体が重くなっていく。
 必死にそれを堪えながら、雷堂は、目前の光景に目を細めた。
 何故、此方を見ない。
「オリマシマセ」
 お前らしくないではないか。
「カシコミ・・・・・・ 」
 いや、今は集中せねばならぬ。
 下手をすれば、ライドウを送り返すことができないどころか、この町が、呑まれる。
「フルベ ユラユラト フルベ」
 だが、今を逃せば・・・・・・。
 二度と、此奴に・・・・・・。

 ぐっと雷堂は、唇を噛みしめ、最後の呪を、唱えた。
「ハラヘヤレ ハラヘヤレ」











 呼ばれる声に、はっとして目を開いた。
「雷堂!」
「業斗・・・・・・」
 覗き込んでくる翠の輝きに、大丈夫だと頷く。
 ふと寝室を見渡せば、業斗以外の気配はなくて。
 そうか、と。
 べたつく身体を起こして、あの日から両手では足りない程の月日が去ったことを自覚する。
 あの頃、毎朝感じていた寝息を、もう感じることはできぬと。
 我の腕を抱きしめて眠っていた彼の寝顔を、見ることは叶わぬのだと再認識して。
 業斗の額を撫でた。
 悪夢は、終わらさなければならぬ。

 そうだ。
 今日こそは、燃やさないと。







 焚き火の前でしゃがみ込み、雷堂は持ち主のいなくなった物品を傍に置いた。
 あの短期間に、よく集めたなと関心する程に、彼の私物は多かった。
 一つ一つ部屋から見つける度に、いっそ此の部屋ごと燃やした方が早くないか? と思ったが、それこそ莫迦らしいので黙々と探し続けた。
 糞。立つ鳥跡を濁さず、だろうが。
 彼奴は、汚しすぎた。荒らしすぎた。
 此の部屋も、そして・・・・・・。

 首を振って、炎の爆ぜる音をぼんやりと聞きながら、それらを投げ込んでいく。
 富士子パーラーのおまけでもらった、押し花のコースターだとか。
 商店街でもらった期間限定の割引券の半端な余りだとか。(食費が増えたので、いつもより多くの枚数を集められ、割安になったのはよかった)
 今、燃やしたのは、金王屋で買った、悪魔を誘惑する効果があるという触れ込みの香。(尤も、紛い物だったが)
 燻る様を眼で追い、空を見上げる。
 全て全て、雷堂と揃いのライドウの物。

 次に投げ込む物を握りしめたまま、雷堂は、くっと喉を鳴らす。
 途端に、物に宿ったささやかな思い出達が、過ぎっていき。
 多くはないそれらが、どれだけ自分の中で重みを増していたのか気づき。
 これからは揃いの自分の物を使いながら、ふとした瞬間、思い出して昇華していかなければならず。
 新しい物を求めれば、あの者も今頃、手にしているのだろうかと妄想に耽ることは想像に難くなく。
 片割れは、こうして捨てようとしている状況に、目眩がして。

 過去も未来さえも、我が我である限り、ライドウの面影から離れられない、と。
 首を限界まで逸らすと、視界に影がかかった。

 こつん、と帽子に、同じ色の鐔が当たる。
「・・・・・・全く」
 上から降ってきた声に、雷堂は固まった。
 こつん、こつこつこつん。
「やっぱり燃やしましたね。僕の物を」
 空を従え網膜に飛び込んできたのは、上下反転した、よく似た顔。
「だっ・・・・・・て、必要のない物、だろ? お前は、いないのだから」
 絞り出すようにして、雷堂は応じ、矛盾した考えを巡らす。
 何故、お前がこのような郊外にいるのだ、とか。
 お前は本物の葛葉ライドウなのか、とか。
 聞きたいことはたくさんあったが。
「僕まで必要のないものだ、なんて云わないでくださいよ?」
 ぎゅっと鐔を摘まれて、思わず沈黙した。
「あの時、貴方が『いつまでも待っている』と云ってくだされば、僕だってこのような事をしなかったのに」
 雷堂の手から、歯ブラシを奪ってニヤリと笑う。

「貴方、諦めが良さそうだから」
 僕を少しでも思い出すように、私物をたくさん置いていったのですよ。

 マントの一振りで、火を消し、私物を転移させたライドウは、呆然とする雷堂の頬を掌で包み込んだ。
 そろそろ後ろに倒したままの首が痛いのだが、と訴えれば、もっと痛がりなさいと逆さまの唇が重なってくる。

「その顔だと・・・・・・まだ泣いていませんね。本当に強情なのだから」
 こめかみを撫で上げて、ライドウは微笑む。
「ざまぁ見ましたか?」
 その口の悪さに、何故か雷堂は心地よくなった。
「・・・・・・ちょっとな」
 だが、それを素直に肯定するのも歯痒くて。
「ちょっとだけだぞ」
 緩みそうになる口元を、必死にへの字に曲げた。
「だが、お前程ではない」
 両の掌から逃げて、漸く正面で見つめ合う。
 雷堂は、似て非なる白磁の頬に、自らのそれを重ね、目前の耳に囁きかける。
「泣いたのか」
 びくり、と跳ねた肩を見下ろし、華奢な身体を抱きしめる。
 少し、細くなったような・・・・・・。
「お前が、丑込め返り橋で顔を見せなかったのは、我に未練を植え付けるためだったのか」
「そうですよ。それ以外に何があるのですか」
「嘘つき野郎」
 流れ降りてきた雫を頬に感じ、雷堂は、強情者、と呟く。
「今度は、思い出をたくさん残していくといい」
 それならば燃やさずにすむし、と悪戯っぽく笑う。
「今度は、簡単に帰れると思うなよ?」
 半端な思い出なら、帰してやらんからな。
 囁き、真っ赤になる耳を噛む。



 大切な故に重たい思い出を、抱えて生きられるくらいに、強くなろう。
 帝都を守護する力と共に、自分を、自分達をも護れるしなやかさを。
 同じ十四代目を継ぐ者として。名に恥じぬ、誇り高さをその胸に。
 互いの存在が、互いを支える柱になるように。
 たとえ同じ世界に留まることができぬとも。



 揃いの思い出を、先ずは一つ。


 重ねた唇は、微かに震えていた。














 来た当初のライドウさんは、雷堂の歯ブラシで歯を磨こうとしたであろう。
 それを見た雷堂さんが、待てやオイとなって、渋々新しい歯ブラシを買ってきてあげたのなら、ちょっと萌える。
 ちなみに、同じ種類の歯ブラシでないと厭です、とライさんが駄々を捏ねればいいな。
 そのシーンが、一番書きたかったのかもなぁと書き上げた後に気づく、後書き本末転倒。
 後半のライ様は、マトリョーシカで、時空を渡ってきたかもしれないと思わせるかも知れない前半の伏線は、誰か気づいたのだろうか<無理だYO!<お前、さっき思い付いただろ!
 ま、マトリョーシカを置いたのは、単に「いらなかったから」とか「ちょっとした嫌がらせ」とかだと思いますv うわっ! ライ様の性格が破綻していく・・・・・・!
 雷堂さんが、揃いの自分の物を捨てなかったのは「もったいない」の主婦発想かもしれない。




                                   2006.12.01