―――あの時・・・・・・をしなければ、違う未来があったのだろうか。
昨日も不貞寝。
今日も不貞寝。
「いい加減にせんか、鳴海」
外出先から帰った雷堂は、外套を外すよりも先に、部屋の主の元へ近寄った。
「いつまで探偵社に引き籠もるつもりだ」
机に伏せられた頭は、ぴくりとも動かない。
窓からの斜光で、まだらになった其の背に大喝したいところを、雷堂はぐっと堪える。
昨日、散々怒鳴って効果がなかったからだ。
「理由は云わなくてもいい。だが、昼行灯も程々にしておけ」
「・・・・・・」
「一日中怠惰な貴様を心配して、わざわざご婦人が駆けつけて下さったぞ」
「・・・・・・」
雷堂は、鳴海の耳元に口を近づけ、殊更優しい声音で刺激のある言葉を選ぶ。
「大家さんだ。家賃を払え、とな」
持ち上がりかけた髪は重力に屈し、鳴海は今度こそ動かなくなった。
重症だ。この呪も効かないとは。
雷堂は喉の奥で唸った。
二週間程、鳴海のこの様子は続いてた。
初めは手元不如意がたたって、得意の夜歩きが出来なくなったからだと思った。
昼に雷堂が帰社しようが、夜明け前に銀楼閣を出ようとも、鳴海は探偵社にいたからだ。
料亭と深川、銀座のバーに通えなくなっただけで、この始末。
―――此奴を動かす動力は、欲望しかないのか?
そう思って、仲魔に発火か色仕掛けをさせようかと考えた事もある。
逆転の発想で、鳴海にプリンパをかけさせるのもいいか。
ねじ曲がった根性には、屈折した方法で当たる方がいいかもしれないからな。
本当に実行しようとした矢先、鳴海が云ったのだ。
「雷堂が、女の子になったら起きる」
一週間前のことだった。
―――化石人類―――
衝撃を受けすぎて、雷堂は固まった。
「―――――――――は?」
久しぶりに聴いた鳴海の言葉。
それが・・・・・・。
「雷堂。何で、お前は女じゃねぇの?」
鳴海は、不機嫌そうに顔を上げる。
「絶対美人だ。遊女になったら花魁街道まっしぐらだろうな。そうだ。今すぐなれ。お前、デビルサマナーなんだから、仲魔の力とかで何とかなるだろ」
ゆるゆると伸ばしてきた手を、雷堂は払った。
嫌悪と困惑で、漸く理性が戻ってくる。
「・・・・・・我が婦女子になって、貴様は何をするのだ」
「え? 口説いてキスして押し倒す以外、何かあんの?」
「・・・・・・今すぐ斬り捨ててやる以外のことをしたくないのだが」
「じゃあ、じゃんけんしよ」
「は?」
雷堂は、軽く口を開けたまま、拳を振る主を見遣る。
「じゃんけんで俺が負けたら、今日一日雷堂の云うこと、なーんでも聴いてやる」
「・・・・・・ほう」
「でも、俺が勝ったら」
「ありえないな」
雷堂は、笑みを浮かべる。
「我は、勝つ。我の動体視力ならば、貴様の手など止まって見えるからな。貴様は義務と罰に早々に怯えているがいい」
漸く、この男を働き者に出来る!
「・・・・・・ふーん。じゃあ、俺が勝ったら何でも云うこと聴けよ」
「いいとも」
「後悔すんなよ!」
何故だ。
「貴様、いかさまをしただろう!?」
「はぁ? んなわけないだろ?」
「しかし!」
「俺様の運とテクが最高ってだけさ」
詰まる雷堂に、鳴海が上機嫌で包みを渡す。
「此れを着ろと・・・・・・?」
「嗚呼。女装で勘弁してやるよ」
「何だと?」
「あん? 日本男児に二言はいらねぇぜ?」
「・・・・・・着方がわからん」
「仕方ねぇな。俺が着せてやるよ」
「断る」
「こういう時は、素直になれよ」
「まずは我の力で克服してみせる。貴様は手出しをするな」
ばん、と扉を閉めて雷堂は自室へ籠もる。
渡された着物をつまみ上げて、其の面妖さに雷堂は戸惑った。
上衣は、わかる。
だが、薄くて黒い布は、何なのだ?
このように生地が透けてしまっては、役に立たない気がするのだが。
同じ物が二つあるということは、手か足に装着する物だろうか?
長さからいって、足と推測できる。
他にも訳のわからない薄布を広げては床に落とし、雷堂は溜息を吐いた。
嗚呼。何ということだ。
鳴海を更生させるどころか、帝都守護と何の関係もない・・・・・・こともあろうに、じょ、女装をすることになろうとは!
十四代目葛葉雷堂、一生の不覚!
「初代よ。申し訳ございません」
潤みかけた両目を、はっとして拭い、雷堂は足下に散らばった衣類を眺める。
―――約定を違えることはできない。言霊に重きを置いている我だからこそ。
修行だ。此れは試練だ。
心を無にすれば、感情を外界と切れば何ともない。
心頭滅却。
覚悟を、決めるか。
水たまりのように広がる衣服に、足を浸しているような錯覚を覚えながら、雷堂は一枚ずつ拾い上げる。
椅子に掛け、其の中の数枚を手に取った。
先ずはレースの縁取りがされた薄布を、雷堂は足に通す。
・・・・・・張り付くような感覚がして履きにくかったが、何とか上まで持ち上げることができた。
「雷堂! サスペンダーみたいな奴は、ストッキングを吊すもんだからな!」
鳴海の声に、びくっとする。
「・・・・・・サス? スト?」
「あー薄くて黒い生地二枚がストッキングだ! それを吊すのが、皮に金属が付いてる部品だ!」
「わかった。やってみる」
ガーターベルトとは知らずに、雷堂はそれを持ち上げる。
矢張りよくわからない。
後回しにしよう。
珍しく、雷堂は後手に回った。
次の作業に入った。
此れは知っている。スカァトだ。
モガを称する女性が履いている、短い腰巻き。
足を通そうとして、雷堂は目を見開いた。
きつい。
褌がスカァトを押し上げ、下半身を圧迫する。
無理矢理上まで持ち上げ、具合を確かめる。
腰回りは、丁度いい。
あつらえたが如く、ぴったりだ。
試しに足を踏み出した。
・・・・・・歩けないこともないが、大股を開いて四股を踏むようにしなければならない。
ぎくしゃくと身体を動かして、雷堂は、はっと立ち止まった。
丈が短すぎる。
ちらちらと褌がスカァトの下から顔を出しているのが、見える。
慌てて下に引っ張ってみるが、まだ見える。
というより、隠すのは不可能だ。
歩くには、がに股を強いられ、褌を隠す為には宦官のように内股でちょこちょこ動かなければならない。
何たる恥辱!
雷堂は、誰もいない部屋で真っ赤になった。
よもや褌が仇となるとは・・・・・・!
「雷堂ー! 早くしろよ!」
鳴海の急かす声に、身体が震えた。
「早くしねぇと、部屋に乗り込むぜ!?」
鳴海ならする。確実にする。
糞っ。どうすればいい!?
雷堂は、スカァトの裾を引っ張った状態で、混乱を深めていった。
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2007.3.6
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